シギ・クトク
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シギ・クトク(Šigi Qutuqu. 1179年〜1183年ー1260年〜1264年[1])とは、草創期の頃から第4代皇帝(カアン)モンケの時代までモンゴル帝国に仕えた人物。『集史』などのペルシア語資料では、شيكى قوتوقو Shīkī Qūtūqū またはクトゥク・ノヤン قوتوقو نويان Qūtūqū Nūyān と呼ばれており、『元史』などの漢文資料では失吉忽禿忽、失乞刊忽都忽などとも記される。『元朝秘史』ではシギケン・クドゥク(失吉刊忽禿忽 Šigiken Qutuqu)などとも記されている。チンギス・カンの妻ボルテに育てられた。
- ^ 宇野2009,61頁
- ^ 村上1970,301頁
- ^ 宇野2009,59-62頁
- ^ 後にチンギス・カンに仕えるチュンシャン(粘合重山)の祖父に当たる(宮2018,700頁)
- ^ 『聖武親征録』「上時駐桓州、遂命忽都忽那顔与甕古児宝児赤・阿児海哈撒児三人検視中都帑蔵。時金留守哈答国和奉金幣為拜見之礼、甕古児・哈撒児受之、独忽都忽拒不受、将哈答等萃其物北来……上甚佳之、以為知大礼、而重責甕古児・阿児海哈撒児等之不珍也」
- ^ 村上1976,162-165頁
- ^ なお、『集史』ではこの事件を「アルタン・カン(=金朝皇帝)の副官達(=カダ)が財宝の中から賄賂を与えた……」と表現している(志茂2013,575頁)
- 1 シギ・クトクとは
- 2 シギ・クトクの概要
- 3 参考文献
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