キプチャク平原史とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > キプチャク平原史の意味・解説 

キプチャク草原

(キプチャク平原史 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 23:36 UTC 版)

キプチャク草原(キプチャクそうげん、英語: Cuman–Kipchak confederationロシア語: Дешт-и-Кипчак)は、中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの歴史的呼称。ペルシア語のダシュティ・キプチャーク(: دشت قپچاق‎、Dasht-i Qipchāq)の訳語で、この地域に11世紀から13世紀にかけてテュルク系遊牧民キプチャク(別名クマン、コマン、ポロヴェツ)が活動したことからこのように呼ばれるようになった[1]ラテン語の記録では「クマニア」(: Cumania)・「コマニア」、古東スラヴ語ルーシ語の記録では「ポロヴェツ草原」(: Половецкая степь)と呼ばれる。中国語の記録では欽察草原(きんさつそうげん)と呼ばれる。


  1. ^ : دشت‎(Dasht)は「平野」を意味し、: قپچاق‎(Qipchāq)は民族名(キプチャクと同様にテュルク系遊牧民を指した古称で「韃靼(だったん)」と意訳されることもある)。なお、「dasht」に付く「-i」はエザーフェというペルシア語の文法事項である。
  2. ^ 川口/長嶺2013,29-30頁


「キプチャク草原」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「キプチャク平原史」の関連用語

キプチャク平原史のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



キプチャク平原史のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのキプチャク草原 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS