カトリック教会における「コンスタンティノープル総大司教」
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「コンスタンティノープル総主教庁」の記事における「カトリック教会における「コンスタンティノープル総大司教」」の解説
1204年に第4回十字軍コンスタンティノープルを占領してラテン帝国を建国した際、カトリック教会は亡命した正教会のコンスタンティノープル総主教の代わりにカトリックの総大司教座を置いた。その後、1261年に東ローマ亡命政権のニカイア帝国がコンスタンティノープルを奪回して正教会の総主教座が復活し、カトリックの総大司教は追われた。しかし「コンスタンティノープル総大司教」の職名だけは残り、1964年まで名目上ながら存続していた。
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