カダクとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > カダクの意味・解説 

カダク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/22 07:42 UTC 版)

カダクモンゴル語: Qadaq,中国語: 哈答,? - ?)とは、13世紀後半にモンゴル帝国および大元ウルスに仕えたウルウト部出身の将軍。『元史』などの漢文史料では哈答(hādā)もしくは合丹(hédān)と記され、後者に従ってカダアンとも表記される。


  1. ^ 『元史』巻120列伝7朮赤台伝,「怯台薨、子端真抜都児襲爵為郡王。太宗時与亦剌哈台戦、勝、帝即以亦剌哈台妻賜之」
  2. ^ 『集史』「モンケ・カアン紀」にはカダクの父に当たるケフテイとその弟ブジルが南宋遠征軍に属したとされるが、同じ箇所では明らかに故人のアルチ・ノヤンモンケ・カルジャといった先代五投下当主の名が挙げられており、ケフテイが南宋遠征軍に属したというのは史実とことなると考えられる(杉山2004,74-75頁)
  3. ^ 杉山2004,114-115頁
  4. ^ 『元史』巻120列伝7朮赤台伝,「世祖之征阿里不哥也、怯台子哈答与忽都忽跪而自献于前曰『臣父祖幸在先朝、当軍旅征伐之寄、屡立戦功。今王師北征、臣等幸少壮、願如父祖以力戦自効』。既得請、於是戦于石木温都之地。諸王哈丹・駙馬臘真与兀魯・忙兀居右、諸王塔察児及太丑台居左、合必赤将中軍。兵始交、獲其将合丹斬之、外剌之軍遂敗衄。又戦于失烈延塔兀之地、当帝前混戦、至日晡勝之。帝賜以黄金、将佐吏卒行賞各有差。李璮叛、帝遣哈必赤及兀里羊哈台闊闊出往討之、哈答与兀魯納児台亦在行。璮平、与有功焉」
  5. ^ 『元史』巻8世祖本紀5,「[至元十年]夏四月癸未朔……左丞相合丹、参知行中書省事劉整、山東都元帥塔出・董文炳行淮西等路枢密院事、守正陽」
  6. ^ 堤1996,75頁
  7. ^ 『元史』巻8世祖本紀5,「[至元十一年三月]辛卯、改荊湖・淮西二行枢密院為二行中書省……合答為左丞相、劉整為左丞、塔出・董文炳為参知政事、行中書省於淮西」
  8. ^ 堤1996,78-79頁
  9. ^ 堤1996,82頁
  10. ^ 堤1996,97頁
  11. ^ 『元史』巻120列伝7朮赤台伝,「哈答三子。曰脱歓、曰亦隣只班、曰慶童」
  12. ^ 『元史』巻120列伝7朮赤台伝,「哈答子脱歓、亦嘗従諸王徹徹都討只児火台、獲之。又嘗破失烈吉・要不忽児于野孫漠連。及征乃顔、脱歓弟慶童亦在軍、雖病猶力戦」
  13. ^ 『元史』巻120列伝7朮赤台伝,「脱歓二子。曰塔失帖木児、曰朶来。塔失帖木児一子、曰匣剌不花。自怯台而下凡九人、皆封郡王云」


「カダク」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  カダクのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「カダク」の関連用語

カダクのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



カダクのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのカダク (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS