カスティーリャとの連合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 01:33 UTC 版)
「アラゴン連合王国」の記事における「カスティーリャとの連合」の解説
カスティーリャの女王イサベル1世の夫で共同君主であったフェルナンド5世がアラゴン王フェルナンド2世として即位した1479年に、スペイン王国へと統合されたと見なすことができる。これもまた各国が政治制度を維持したままの連合であったが、実態としてはカスティーリャを中心とするものであり、スペイン継承戦争を経てスペイン・ブルボン朝の支配が確立した18世紀初めには、新国家基本法により旧来の政治機構は解体されて中央集権化が図られた。
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