イブラヒム・ヤーコブとは? わかりやすく解説

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イブラヒム・ヤーコブ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/01 06:06 UTC 版)

イブラヒム・ヤーコブ(イブラヒム・ビン・ハジ・ヤーコブ, 英語:Ibrahim bin Haji Yaacob、1911年1979年)は、マレーシアの政治家。戦前のマラヤマレー青年同盟(Kesatuan Melayu Muda; KMM)英語版を率いて反英運動を展開。日本軍の占領時期には軍政に協力し、マライ義勇軍の隊長を務め、1945年7月に元KMMのメンバーと共にクリス(KRIS)運動を推進した。戦後インドネシアジャワ島へ逃れ、のち実業家に転身した。戦時中から、英国諜報部やマラヤ共産党(MCP)とも通じていたとされる。[1]




  1. ^ この記事の主な出典は、フォーラム (1998, p. 672)、リー (1987, pp. 170-171)、鶴見 (1986, pp. 292-293,317-318)および板垣, 山田 & 内田 (1981)
  2. ^ a b c d e f g h 鶴見 1986, p. 292.
  3. ^ a b c d e f フォーラム 1998, p. 672.
  4. ^ 当時の総領事は鶴見憲鶴見 1986, p. 292)
  5. ^ 鶴見 (1986, p. 292)。鶴見憲は、資金提供は自身の記憶になく、担当していたのは総領事館員として活動していた陸軍少佐だろうと述べた、としている。また同書では、『ワルタ・マラヤ』はジャーナリストだったイブラヒムにとって自然な隠れ蓑になり、各地に支局を持つ情報機関になった、としている。
  6. ^ フォーラム (1998, p. 672)。同書では、シンガポール日本総領事だった鶴見憲が、同盟記者飼手誉四を通じKMMに資金援助して『ワルタ・マラヤ』紙を買収させ、反英運動助長を図った、としている。
  7. ^ 篠崎 (1981, p. 174)によると、鶴見憲は情報・宣伝工作を積極的に推進し、鶴見が総領事の時代に陸軍参謀・鹿子島隆少佐が総領事館に入り情報・宣伝工作を担当した。
  8. ^ 鶴見 1986, pp. 292-293.
  9. ^ フォーラム 1998, pp. 13,672.
  10. ^ フォーラム 1998, pp. 55,672.
  11. ^ 板垣, 山田 & 内田 (1981, p. 165)によると、イブラヒムの回想録の中に、共産軍のスルタン・ジュナイと連絡を取っていたとの記載がある。
  12. ^ リー (1987, p. 170)では、1973年頃、イブラヒムから直接聞いた話として、1945年7月頃にマレー半島のマレー人を統一してインドネシアに引き入れるために組織を結成した、としている。
  13. ^ 板垣, 山田 & 内田 1981, pp. 154-158.
  14. ^ スカルノらは、サイゴン寺内南方総軍司令官からインドネシア独立準備委員会の発足について承認を受け、帰国する途上だった(板垣, 山田 & 内田 1981, pp. 158-159)。鶴見 1986, p. 317では、仏印ダラトからの帰国途上、としている。
  15. ^ 鶴見 1986, p. 317.
  16. ^ 板垣, 山田 & 内田 1981, pp. 158-159.
  17. ^ 板垣, 山田 & 内田 1981, pp. 159-160.
  18. ^ 板垣, 山田 & 内田 1981, pp. 162-164.
  19. ^ フォーラム (1998, p. 672)。英国による逮捕を恐れた(同)。
  20. ^ 鶴見 (1986, p. 292)は、終戦直前にインドネシア・ジャカルタへ逃亡した、としている。
  21. ^ 板垣, 山田 & 内田 1981, pp. 164-165.
  22. ^ 板垣, 山田 & 内田 1981, p. 164.
  23. ^ リー (1987, p. 171)。イブラヒムの著書からの引用として、インドネシア側は英国が復帰した時点でも態勢が整わず、オランダとの戦闘で頭がいっぱいだった、としている。
  24. ^ 鶴見 1986, p. 318.
  25. ^ 板垣, 山田 & 内田 1981, p. 166.
  26. ^ リー 1987, pp. 170,178.
  27. ^ リー 1987, p. 170.
  28. ^ リー 1987, pp. 170-171.
  29. ^ a b 板垣, 山田 & 内田 1981, p. 167.
  30. ^ 板垣, 山田 & 内田 1981, pp. 165-166.
  31. ^ リー 1987, p. 171.
  32. ^ a b 板垣, 山田 & 内田 1981, pp. 166-167.


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