アーガス (空母)
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アーガス (英語: HMS Argus, I49) は[1]、イタリア王国が発注した貨客船を改造したイギリス海軍の航空母艦[2][注釈 1]。同型艦はない。艦名はギリシャ神話のアルゴスに由来する[4]。
注釈
- ^ a b 二、航空母艦の誕生[3](中略)世界大戰のとき、獨逸の飛行機や飛行船はしばしば英佛兩國を脅かしたので、はじめは飛行機何するものぞと輕侮してゐた英人も、漸く被害が大きくなるにつれてその認識を改めた。かくて英海軍では、飛行機の性能が、艦隊にとつて最も重要な通信と偵察とに適してゐることを覺つて飛行機を艦隊に従属させ、艦隊の手となり眼となるやうに使用することが企てられた。
大戰中に數臺の飛行機を運搬するやうに設計された船が数隻造られたが、いづれも水上飛行機を扱つたもので、いまの『水上機母艦』の始りである。その頃、海軍では水上機だけを専ら使つてゐたから、水上機母艦が先づ作られたのは當然だつたが、それらを實戰に参加させ、その性能を實驗した結果、英海軍は、いよいよ陸上機を離著させ得る飛行甲板をもつ航空母艦の建造に着手した。と云つたところで、これは當時英國で新造中の伊國汽船を改装した『アーガス』(一五七七五噸)といふ今日からみれば極めて貧弱なものであつた。が、その目的とするところは、當時の海軍飛行機の行動半徑は頗る貧弱で洋上を横斷して敵地に飛行し敵艦隊を襲撃する任務を遂行する力が不足だつたので、これを補ふことであった。そして今日といへどもこの根本任務に異るところはないが、たゞ、その規模や構造などにおいては、殆ど比較にならないほど發達して、現在のごとく有力な航空母艦となるに至つたのである。かくて、大戰後一九二一年(大正十年)ワシントンに開かれた軍備縮小會議では、主力艦とともに主要な艦種として航空母艦も種々論議され數々の制限がこの新型艦についても定められた。 - ^ 九、各國航空母艦の歴史[10] 列國の航空母艦發達の状況をみると、いづれもはじめは水上飛行機を搭載し、これを作戰上必要とする地點まで輸送する目的で、艦船に特定の装備を施したものであつた。艦上から飛行機を飛立たせ、また艦に着還させることは、英米兩國で前世界大戰の約十年前にそれぞれ實驗され研究されたのだが、それがいよ〱實際に使用されたのは、大戰と同時に英海軍が水上飛行機運搬―すなはち現在の水上機母艦を造つたのに始まるのである。今日では航空母艦と水上機母艦とは、前に定義したやうにその性能は全く異るものだが、その發達史の上からみれば、水上機母艦の方が先に出現し、純然たる航空母艦は水上機母艦の經驗を多く参考にとり入れてこれに續いて建造されたもので、大正七年(一九一八年)九月竣工した英のアーガスがその最初のものである。
- ^ 世界最初の航空母艦と表現されるフューリアスだが、艦前部のみ発艦用飛行甲板を設置、艦中央部に艦橋と煙突とマストがそびえ、艦後部に18インチ単装砲を設置した状態で1917年に竣工した[11]。第一次改装で艦後部にも着艦用飛行甲板を設置(艦中央の艦橋と煙突は残置)、1921年から1925年にかけての第二次大改装で本格的な空母(多段式空母)となった[12]。
- ^ この船名は、赤毛のためConte Rossoの異名を持つサヴォワの君主だったアメデーオ7世に由来する。初代が空母に改造されたあと2代目が建造されたが、1941年5月24日に地中海でイギリス潜水艦アプホルダー (HMS Upholder, N99) に撃沈された。
- ^ a b 第十六.母艦「アーガス」[23] 「アーガス」ハ大正七年九月廿二日「ロサイス」来着、大艦隊ニ編入セラレタルモノニシテ艦上全部滑走台ニテ覆ハレ無烟突ナリ但シ艦尾ノ両舷ニ廃烟口ヲ有ス/英海軍カ飛行機ノ発著ニ安易ナル母艦ヲ得ントシテ苦心セル情畧スヘキナリ/本艦ハ排水量約一万六千噸速力二十一節ニシテ二十有余隻ノ飛行機(中ニハ魚雷発射用ノモノアリトノコト)ヲ格納シ居ルト謂フ/操舵室ハ糶上式、無線電信柱ハ「テレスコピック」ナリ。
- ^ ◎飛行機母艦ARGUS[25](中略)十月ノ末ニ煙突及艦橋ノ模型ヲ上甲板滑走台ノ一舷ニ取付ケ由テ生ズル気流ノ変化ヲ試験シツヽアリタルガ試験ノ結果ニ由テFURIOUSノ煙突艦橋ヲ片寄セ又目下建造中ノ飛行機母艦艤装ノ参考ニスルナリト云フ。聞ク処ニヨレバ結果良好ナルガ如シ最新飛行機母艦VINDICTIVEハFURIOUSト仝式ナリ
- ^ アーク・ロイヤルからアーガスへの航空機の移譲はクレーンを用いて行われた[27]。
出典
- ^ a b 航空母艦の話 1938, pp. 55–56(原本88-90頁)附録(三)航空母艦關係術語英和對照
- ^ 世界の艦船、航空母艦全史 2008, p. 18aイギリス/アーガス ARGUS
- ^ 朝日、航空母艦 1942, pp. 7–8(原本5-7頁)
- ^ 航空母艦の話 1938, pp. 49–51(原本76-80頁)十三、航空母艦の艦名の由来
- ^ 中島武、航空母艦 1930, pp. 6–7(原本3-4頁)
- ^ a b c d e #在英大使館附武官情報(10) pp.47-49
- ^ a b 航空母艦の話 1938, pp. 15, 16–20.
- ^ 世界の艦船、航空母艦全史 2008, p. 218(アーガス写真の欄外解説)
- ^ a b 大内、護衛空母入門 2005, p. 51.
- ^ 朝日、航空母艦 1942, pp. 37–38(原本65-66頁)
- ^ 世界の艦船、航空母艦全史 2008, pp. 16a-17イギリス/フューリアス FURIOUS
- ^ 世界の艦船、航空母艦全史 2008, pp. 217–218初期の航空母艦
- ^ 世界の艦船、航空母艦全史 2008, pp. 20–21アメリカ/ラングレー LANGLEY
- ^ 世界の艦船、航空母艦全史 2008, pp. 22–24日本/鳳翔 HOSHO
- ^ a b 世界の艦船、航空母艦全史 2008, p. 18b.
- ^ 航空母艦の話 1938, pp. 46–47(原本73-74頁)
- ^ #アルガス見学 p.1〔 一.見學日時及場所 大正八年一月二十四日英國プリマス軍港停泊中 〕
- ^ a b 大内、護衛空母入門 2005, p. 52.
- ^ 航空母艦の話 1938, p. 36(原本54-55頁)(アーガス解説)
- ^ 朝日、航空母艦 1942, pp. 31–32(原本52-54頁)(ロ)飛行甲板による型式
- ^ 朝日、航空母艦 1942, p. 44(原本78-79頁)(5)佛國の航空母艦
- ^ 大内、護衛空母入門 2005, pp. 54–55第6図 航空母艦アーガスの外形図
- ^ #報告書の件 pp.36-37
- ^ a b c #ハイシーフリート降伏 pp.51-52(アーガス側面写真)〔 飛行機母艦「アーガス」(九月廿二日「ロサイス」着) 〕
- ^ a b c #インドミタブル及タイガー(3) p.64
- ^ Brown 2009, p. 62
- ^ a b Halley, p. 38
- ^ 朝日、航空母艦 1942, pp. 40–43(原本71-77頁)(3)英國の航空母艦
- ^ McBride, p. 79
- ^ Friedman, pp. 69, 71
- ^ Rohwer, p. 22
- ^ a b Nailer, pp. 159–60
- ^ a b Nailer, p. 154
- ^ Rohwer, p. 93
- ^ McBride, pp. 80–81
- ^ McBride, p. 86
- ^ Friedman, p. 71
- 1 アーガス (空母)とは
- 2 アーガス (空母)の概要
- 3 兵装
- 4 機関
- 5 参考文献
- 6 関連項目
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