アゼリオ・ビチーニとは? わかりやすく解説

アゼリオ・ビチーニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/19 13:59 UTC 版)

アゼリオ・ビチーニ
名前
ラテン文字 Azeglio Vicini
基本情報
国籍 イタリア
生年月日 (1933-03-20) 1933年3月20日
出身地 チェゼーナ
没年月日 (2018-01-31) 2018年1月31日(84歳没)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アゼリオ・ビチーニAzeglio Vicini1933年3月20日 - 2018年1月31日)は、イタリアチェゼーナ出身の元サッカー指導者、元サッカー選手。

経歴

イタリアU-21代表監督を長く務め、1986年に地元開催のワールドカップを4年後に控えた イタリア代表の監督に就任する[1]。U-21監督時代の教え子を数多く登用し、従来のイタリア=守備的のイメージを払拭しようと努めたが、FWのジャンルカ・ビアリの相方だけは最後まで決まらずそれが最後まで圧し掛かる。

迎えた1990年のワールドカップ・イタリア大会、ビアリが負傷した事もあり、国民に人気の高いロベルト・バッジョサルヴァトーレ・スキラッチの2トップを起用し、順調に準決勝まで進んだが、準決勝アルゼンチン戦でバッジョを外し、ビアリを先発で起用。PK戦の末に準決勝敗退となった。

1991年にUEFA欧州選手権1992予選の敗退の責任を取って辞任した[1]

2018年1月31日、地元のブレシアで死去した[2]。死因は非公表[3]

選手歴

指導歴

  • 1967-1968 ブレシア
  • 1975-1976 イタリアU-23代表
  • 1976-1986 イタリアU-21代表
  • 1986-1991 イタリア代表

脚注

  1. ^ a b サッカー元イタリア代表監督死去ビチーニ氏、W杯3位に導く”. デイリーサッカー (2018年1月31日). 2019年12月19日閲覧。
  2. ^ 元イタリア代表監督、ビチーニ氏が死去”. サンケイスポーツ (2018年1月31日). 2018年1月31日閲覧。
  3. ^ 元イタリア代表監督のビチーニ氏が死去 84歳”. 日刊スポーツ (2018年2月1日). 2019年12月11日閲覧。




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