ひまわり_(1970年の映画)とは? わかりやすく解説

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ひまわり (1970年の映画)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/09 01:46 UTC 版)

ひまわり』(原題(イタリア語): I Girasoli )は、1970年イタリアフランスソビエト連邦アメリカ合衆国ドラマ映画ヴィットリオ・デ・シーカ監督。出演はソフィア・ローレンマルチェロ・マストロヤンニリュドミラ・サベーリエワほか。


注釈

  1. ^ タイトルは各国で差異がある。ロシア語『彼らは東部戦線へ行った』、イタリア語『イタリアの勇士たちよ』、英語『攻撃と退却』。
  2. ^ 主演はアーサー・ケネディ。またピーター・フォークがイタリア人軍医(中尉)役で出演している。
  3. ^ イタリア人兵士が一人また一人と斃れて行き、最後の一人は雪中で凍死するという構成を取っている。場面はソ連の夏の麦畑とひまわり畑に始まり、冬の吹雪の雪原で終わる。
  4. ^ 日本封切時のパンフレットには「ウクライナ地方のひまわり畑」としか書かれていない[4]。「ヘルソン州説」はいつ誰が唱え始め、またどの程度信用されていたかは要検証事項である。
  5. ^ NHKかごしまWEB特集での表記は「チェルニチー・ヤール村」[3]
  6. ^ チェルネーチー・ヤール村はディカーニカロシア語版ウクライナ語版英語版から約5km東北東と、ごく近くにある。ディカーニカは小さな町(都市型集落)だが、ゴーゴリの『ディカーニカ近郷夜話』で世界的に名を知られている。
  7. ^ 本国イタリアの権利管理会社では、『ひまわり』はせいぜいローレンがイタリアの女優賞を取った程度の作品であり、デ・シーカの代表作とは見なされなかったため、長年に亘って顧みられず、マスターフィルムは缶の中で劣化し、修復不能な状態となっていた。特にカルロ・ポンティの製作会社が倒産してからは、権利や資料が散佚し、世界各国を探しても使えるフィルムは見つからなかった。調査の過程で、『ひまわり』が日本で最も人気であることを知った加藤武史(アンプラグド代表)は、50周年記念上映を決意し、日本に残されていた映写用ポジフィルムから、独自にデジタル修復作業を行なった。[6]
  8. ^ 2022年4月17日の時点で Amazon.co.jp の外国の戦争映画 の 売れ筋ランキングでHDニューマスター版のDVDが1位、Blu-rayが2位になった[8]
  9. ^ 2022年5月2日の時点で Amazon.co.jp の外国のラブロマンス映画 の 売れ筋ランキングでHDニューマスター版のDVDが1位、Blu-rayが2位になった[9]
  10. ^ 日本封切時のパンフレットでは「14日間」と誤記されている[4]
  11. ^ アントニオが新婚早々に作ったのは、祖父も父も結婚式の翌日に作ったという、卵24個で作るプレーンオムレツ。アントニオがバターを使おうとすると、ジョバンナは「私の家は油よ」という。さすがに大きすぎて全部は食べれず、「しばらく卵とは絶交だ」。
  12. ^ この丘には慰霊碑があり、ソ連の詩人ミハイル・スヴェトロフロシア語版の詩「イタリア人」の一節が刻まれていた。"Молодой уроженец Неаполя!Что оставил в России ты на поле? Почему ты не мог быть счастливым Над родным знаменитым заливом?" (訳:ナポリに生まれし若者よ!/なぜ君はロシアの平原に置き去りにされたのだ?/なぜ幸福になれなかったのだ、故郷の名高い湾を見下ろしながら。)
  13. ^ ジョバンナの背後で動き出した列車とテーマ曲が見事にシンクロする名場面である。
  14. ^ Wikipedia ロシア語版では「労働組合長」。
  15. ^ 固有名詞だが、字義は「高い丘」「水源地の丘」の2通りの解釈が可能。
  16. ^ 1960年8月にモスクワ市に編入。現在は地名ザハールコヴォは使われておらず、通りや桟橋の名に僅かに残るのみである。
  17. ^ 旧ザハールコヴォ村は、Wikipedia ロシア語版では「ジョバンナが村で夫の消息を尋ね歩く場面」と書かれているが、写真を照合すると、小型トラックの走る水辺の平らな道である。
  18. ^ この寺院は、1975年のソ連のコメディ映画『運命の皮肉、あるいはいい湯を』にも写っている。
  19. ^ 「要出典」タグ貼付は2016年6月6日。
  20. ^ マルチェロ・マストロヤンニ紹介のページにある。大雪原を訪れた彼は驚き、当時雪原を逃げまどったイタリア兵の労苦に比べれば、自分の(大戦中の)労働キャンプの生活など楽なものだった、と述懐している[4]
  21. ^ イタリア語版 Wikipedia では un bar(軽食堂)という単語が使われているが、実際には2つのビリヤード台の方が目立つ配置である。アントニオはこの店で公衆電話をかけ、電話を切ってからテレビを強調した音響とカメラワークになる。
  22. ^ モスクワの夏時間導入は1981年、夏時間に合わせた通年時間採用が2011-2014年、現在の通年時間に戻ったのが2014年10月。即ち当時の時計は今と同じである。「モスクワ時間」のロシア語版参照。
  23. ^ 日本ではあまり馴染みのない日だが、ソ連では国の祝日。当時は「国際女性デー」よりも「国際婦人デー」の訳語が一般的だった。
  24. ^ 凍死、寒さによる体力消耗も含む。
  25. ^ イタリア語原文:Tutti i personaggi e gli eventi di questo film sono immaginari. Ogni riferimento a fatti, cose e persone della vita reale è da ritenersi puramente casuale.
  26. ^ 外務省と同じ建物だが、アップで写されたプレートは対外貿易省である。
  27. ^ 小森「いつの世にも咲きほこってほしい名作」[4]
  28. ^ 山岳兵は引退後も山岳兵を名乗る。「関連項目」の「アルピーニ」参照。
  29. ^ 例外として、ブルガリア語・韓国語・ペルシア語版は「イタリア映画」、カタロニア語版が「イタリア・フランス合作映画」、アラビア語・ヘブライ語版は本文記事が「イタリア映画」・インフォボックス内が「イタリア・フランス・ソ連」映画、インドネシア語版は本文記事が「イタリア映画」・インフォボックス内が「イタリア・ソ連」映画。
  30. ^ 『おろしや国酔夢譚』封切時のパンフレット(東宝出版事業室、1992年6月)には、レンフィルムとの製作協定調印(1990年10月)の事実と、ロシア・レニングラード市(当時)・レンフィルムの撮影協力の様子が、感謝と敬意を込めて丁寧に記録されている。『ひまわり』のパンフレットにモスフィルムの名が一言も登場しない[4](フィルムの冒頭クレジットには数秒間出る)のとは対照的である。
  31. ^ メートル法採用は、イタリアが1861年、ソ連が1925年(導入決定は1918年)。日本のメートル法化も当時はほぼ完了していた。
  32. ^ 一部の字幕では「アルプス隊」。
  33. ^ 「もともと、この「チャイコフスキー」、ソ連とワーナー映画の合作ということでスタートしたものだが、製作費の一切はソ連もち。ワーナー側は世界配給権を手に入れるための工作に専念していたのだった。この話がはっきり決らぬまま、製作が開始され、撮影が全部終了してもまだ、配給権のことではもめつづけていたが、結局、今春(引用者註:1970年春)、ソ連側とワーナーの話し合いはこじれ、両者は完全に手を切ってしまったもの。もともと、合作などではなかったのである」[22]

出典

  1. ^ ひまわり”. 映画.com. 2022年8月11日閲覧。
  2. ^ ロシア語版の冒頭クレジット。
  3. ^ a b c d e 茶園昌宏(NHK前モスクワ特派員) (2022年5月11日). “名作映画「ひまわり」に隠された”国家のうそ””. NHKかごしまWEB特集. 2022年5月18日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m 日本封切時のパンフレット「ひまわり」(東宝事業部、1970年9月)。
  5. ^ ウクライナ情報:エピソード集(映画編)”. 在ウクライナ日本国大使館. 2015年9月30日閲覧。
  6. ^ 南條廣介「「コロナ禍」にヴィットリオ・デ・シーカ監督『ひまわり』をHDレストア上映する意味」『週刊エコノミストOnline』、毎日新聞社、2020年5月15日、2022年9月23日閲覧 
  7. ^ 日本放送協会. “「戦争とは何か」 ウクライナ侵攻で再注目の映画「ひまわり」”. NHKニュース. 2022年3月19日閲覧。
  8. ^ Amazon.co.jp ベストセラー: 外国の戦争映画 の中で最も人気のある商品です”. Archive.ph (2022年4月17日). 2022年4月17日閲覧。
  9. ^ Amazon.co.jp ベストセラー: 外国のラブロマンス映画 の中で最も人気のある商品です”. Archive.ph (2022年5月2日). 2022年5月2日閲覧。
  10. ^ 土曜シネマスペシャル ひまわり”. テレビ大阪. 2022年7月24日閲覧。
  11. ^ a b c Как Софи Лорен полгода снималась в СССР, и Почему фильм о России не понравился нашим чиновником(ソフィア・ローレンの半年間のソ連ロケ、そしてこのロシアに関する映画が我が国の役人たちのお気に召さなかった理由)” (ロシア語). КУЛЬТУРОЛОГИЯ. РФ(カルチュア・ロシア) (2020年10月27日). 2022年9月23日閲覧。筆者の toshi_djaa は1975年9月生まれの女性。大変な映画通だが、本名等は未詳。
  12. ^ Ольга Шаблинская(オリガ・シャブリンスカヤ) (2019年10月3日). “Мастроянни в Тропарёве-Никулине. Как снимаали фильм "Подсолнухи"?(トロパリョーヴォ=ニクーリノのマストロヤンニ。『ひまわり』のロケは如何にして行われたか?)” (ロシア語). АРГУМЕНТЫ И ФАКТЫ(論拠と事実). 2022年9月25日閲覧。 トロパリョーヴォ=ニクーリノは、集合住宅と寺院のある地区の現在の名称。
  13. ^ a b c d e Евгений Жирнов(エフゲーニー・ジルノーフ) (2005-03-14). “Содружество с итальянских кинематографистами - сплошное надувательство(イタリア映画人との協力‐完膚無きまでの欺瞞)” (ロシア語). Коммерсантъ Власть(コメルサント・ヴラースチ) (№10(613)). https://www.kommersant.ru/doc/554055 2022年9月23日閲覧。. 
  14. ^ a b c 「山岳兵、遺品回収に尽力 ソ連戦線、戦没者7万5000人」毎日新聞・2011年9月8日、東京本社版第6面。
  15. ^ 「伊・ソ連合作映画」 - 『マストロヤンニ自伝 わが映画人生を語る』(マルチェロ・マストロヤンニ著、アンナ=マリア・タトー編、押場靖志 訳、小学館、2002年4月) 巻末用語解説「ひまわり」(p.315)。
  16. ^ 「…イタリア=ソビエト合作のこの大作を…」 - 『イタリア ネオリアリズムの旗手 ヴィットリオ・デ・シーカを感動する』(スクリーン特別編集(スクリーン・デラックス)、近代映画社、2010年1月) 「ひまわり」(p.60-63) より p.61。
  17. ^ 封切作品紹介・伊=米映画「ひまわり」(『スクリーン』(近代映画社)1970年7月号、p.106-107)より p.106。
  18. ^ Премьеры/Подсолнухи(I girasoli, 1970) 封切/ひまわり(1970年)” (ロシア語). КИНОПОИСК キノポーイスク. 2022年9月25日閲覧。 ローマ・日本の封切年月日がピタリと合っているので、信憑性は高い。但し1970年5月25日はモスクワ封切の日付。ソ連他地域では1971年3月。
  19. ^ Подсолнухи(1970) ひまわり(1970年)” (ロシア語). КИНОПОИСК キノポーイスク. 2022年9月25日閲覧。
  20. ^ 「外に開くソビエト映画界(上)」読売新聞・1975年4月2日(夕刊)、東京本社版第7面。また1968年の1年間の延べ観客動員数は、47億1千5百万人(『今日のソ連邦』1970年3月号(第5・6号合併号)、p.57)。
  21. ^ 山田和夫「「赤いテント」とミハイル・K・カラトーゾフ監督」-『キネマ旬報』1970年9月上旬号。
  22. ^ 「「チャイコフスキー」をめぐる話題」(『キネマ旬報』1970年11月上旬号、p. 92-94)より p.93。
  23. ^ 「外に開くソビエト映画界(中)」読売新聞・1975年4月4日(夕刊)、東京本社版第7面。



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