『除銀』の制定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/23 02:35 UTC 版)
「西川利助 (7代)」の記事における「『除銀』の制定」の解説
山形屋西川家だけで元禄12年(1699年)から7代利助が家督を継ぐまでに3度の火災にあい、利助が当主であった期間だけでも2度火事により被災した。当時火災保険制度は当然なく、火事や地震による被害・復興費は全て被災した者が負担しなければならなかった。そこで、7代利助は不時の出費に備えるための積立金『除銀(よけぎん)』を制度化した。しかも、制度として除銀の資金と用途を『普請金』(類焼への準備、300両)・『仏事金』(仏事定にて決められた支出の準備、200両)・『用意金』(店舗の時代賃料資金等、300両)の三つに区分し、直接営業に使われる事はなく本家は各店の純益より除銀を毎年積立留保金として留置いた。
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