申徹也 エピソード

申徹也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/03 07:40 UTC 版)

エピソード

  • 下関時代には営業とパーソナリティの二足のわらじ、そして大柄なため「炎の営業マン」「アジアの大砲」と番組内で呼ばれていた。
  • 番組のスタッフ紹介の際に「音の上げ下げ、曲の出し入れ、全体の仕切りは○○さん」などと言ったり、盛り場レポートなどで胸の大きな女性を形容する際「上空からグランド・キャニオンを眺めております」などと独特の表現をして評判だった。
  • 佐々部清監督や奥田瑛二監督が下関を中心に撮影した作品などに出演した縁で、俳優を招いての舞台挨拶や上映会やが行われた際にはMCも担当していた。[7]
  • 北九州博覧祭イベントFMでは北九州の「もの造り」をテーマに番組を企画、新日鐵住金TOTO三菱化学などの製造現場を取材し働く職人達を紹介、高さ100mの溶鉱炉の上からレポートを行った。また、かって北九州市内の盆踊りで踊られていた「北九州音頭」を再び定番にしようと博覧祭会場内で盆踊りイベントを行った。
  • 下関市海峡ゆめタワー(高さ143m)の頂上(展望室より更に上のお天気カメラがある場所)や、関門橋若戸大橋の主塔の上からレポート[8]をしたことがある。
  • AIR STATION HIBIKIで担当したHIBIKI FIRST TRAINは2009年6月15日に番組スタート、2013年4月12日に「皆勤」で放送1000回を達成[9]2015年3月27日に放送1500回[10]を数え、2016年3月31日の放送(第1759回)をもって終了した。[11]
  • 1998年7月6日午前4時、コミュニティエフエム下関の開局第一声を担当した。7月6日午前4時は同局の周波数76.4MHzにちなんでいる。
  • 2001年11月5日午前8時59分、北九州博覧祭イベントFMのラストコールを担当、同局の閉局を締めくくった。

  1. ^ 番組紹介 - AIR STATION HIBIKI
  2. ^ 音声ガイドサービス - 下関市観光ホームページ
  3. ^ 日記より-FACEBOOK
  4. ^ 産業の隆興と公害の発生 - 北九州市
  5. ^ 80人が洞海湾の夜景を楽しむ - 西日本新聞
  6. ^ 苅田町PR動画【 歴史編】 - YouTube
  7. ^ 半落ち1000人の上映会-チルソクの想い出
  8. ^ 若戸大橋潜入レポート-北九州市道路公社
  9. ^ スタッフブログより- AIR STATION HIBIKI
  10. ^ 日記より-FACEBOOK
  11. ^ 朝の名物番組に幕 若松区のFMひびき-西日本新聞


「申徹也」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「申徹也」の関連用語

申徹也のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



申徹也のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの申徹也 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS