チャールズ・マレー (初代ダンモア伯爵) チャールズ・マレー (初代ダンモア伯爵)の概要

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チャールズ・マレー (初代ダンモア伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/25 08:40 UTC 版)

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ゴドフリー・ネラーによる肖像画、1683年作。

生涯

初代アソル侯爵ジョン・マレー英語版とアメリアナ・ソフィア・スタンリー(Ameliana Sophia Stanley第7代ダービー伯爵ジェームズ・スタンリーの娘)の次男として、1661年2月24日に生まれた[1]。1678年にジェームズ・ダグラス卿の歩兵連隊の大尉になり、1681年に竜騎兵連隊の中佐に転じ、1685年に大佐に昇進した[2]

1683年にアン王女のもとで宮廷職にありつけ、1685年にヨーク公爵夫人メアリー・オブ・モデナの主馬頭になり、同年にヨーク公爵がジェームズ2世および7世として国王に即位したときも留任した[2]1685年イングランド総選挙英語版ではウィガン選挙区英語版から出馬して当選、議会でもジェームズ2世を支持する形で投票したため[2]1686年8月16日にマレー男爵フィンキャッスル子爵およびダンモア伯爵に叙された(いずれもスコットランド貴族[1]

1688年の名誉革命の後、ジャコバイトの疑いをかけられたダンモア伯爵は宮廷職を失い、1689年にエディンバラで投獄され、1692年5月から8月にロンドン塔に投獄され、1696年にリヴァプールで投獄された[2]アン女王(在位:1702年 – 1714年)のもとで復権、1703年にスコットランド枢密院英語版の枢密顧問官に任命されたほか、1707年から1710年までブラックネス城英語版総督を務めた[2]

1710年4月19日に死去[1]ホリールード宮殿のチャペルに埋葬された[2]。長男に先立たれたため次男ジョンが爵位を継承した[1]

家族

1682年12月8日、キャサリン・ワッツ(Catharine Watts、1711年1月22日以前に没、リチャード・ワッツの娘)と結婚[1]、7男5女をもうけた[2]

  • ジェームズ(1683年12月7日 – 1704年9月29日) - 1702年4月9日、ジャネット・マレー(Janet Murray、パトリック・マレーの娘)と結婚、子供なし
  • ジョン(1685年 – 1752年) - 第2代ダンモア伯爵
  • ロバート英語版(1689年 – 1738年) - 陸軍軍人、庶民院議員
  • ウィリアム(1696年3月2日 – 1756年12月1日) - 第3代ダンモア伯爵
  • トマス英語版(1698年 – 1764年) - 陸軍軍人

脚注

イングランド議会 (en
先代:
アンクラム伯爵英語版
コルチェスター子爵英語版
庶民院議員(ウィガン選挙区英語版選出)
1685年
同職:アンクラム伯爵英語版
次代:
エドワード・チセンホール
ウィリアム・バンクス
スコットランドの爵位
新設 ダンモア伯爵
1686年 – 1710年
次代:
ジョン・マレー

  1. ^ a b c d e Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (in English) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 1925.
  2. ^ a b c d e f g Cassidy, Irene (1983). "MURRAY, Charles, Lord Charles (1661-1710)". In Henning, B. D. The House of Commons 1660-1690 (in English). The History of Parliament Trust. Retrieved 25 May 2019.


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