「一家を成した」を解説文に含む見出し語の検索結果(31~40/75件中)
読み方:きむら きんしゅう幕末・明治の日本画家。尾張藩士橋本義俊の第四子。名は充恒、通称は鍬吉、号に蓬乾舎。木村喜蔵の家を嗣ぐ。森高雅に土佐派の画法を学び、古典の研究をし、特に藤原信実・田中訥言に私淑...
読み方:きむら きんしゅう幕末・明治の日本画家。尾張藩士橋本義俊の第四子。名は充恒、通称は鍬吉、号に蓬乾舎。木村喜蔵の家を嗣ぐ。森高雅に土佐派の画法を学び、古典の研究をし、特に藤原信実・田中訥言に私淑...
読み方:たちばな ちかげ江戸後期の国学者・歌人。江戸生。本姓は橘、加藤とも。枝直の子。号は芳宜園・耳梨山人・江翁等。賀茂真淵に学ぶ。また狂歌を好んで橘八衢と称する。村田春海と並び称される。歌風は温雅で...
読み方:たちばな ちかげ江戸後期の国学者・歌人。江戸生。本姓は橘、加藤とも。枝直の子。号は芳宜園・耳梨山人・江翁等。賀茂真淵に学ぶ。また狂歌を好んで橘八衢と称する。村田春海と並び称される。歌風は温雅で...
読み方:おう ちょう明代の画家。江蘇省蘇洲生。字は履仁、のち履吉、別号に雅宜山人。諸生となり、度々科挙に応じたが終に及第しなかった。詩・書・画を能くし、書は虞世南・王献之に私淑し一家を成した。画は黄公...
読み方:おう ちょう明代の画家。江蘇省蘇洲生。字は履仁、のち履吉、別号に雅宜山人。諸生となり、度々科挙に応じたが終に及第しなかった。詩・書・画を能くし、書は虞世南・王献之に私淑し一家を成した。画は黄公...
江戸中期の書家。江戸生。本姓は松下、姓は源、書札に於て葛を氏とした。名は辰・曇一、字は君嶽・龍仲・神力、別号に白玉斎・東海陳人等がある。初め書法を細井広沢に学び、のち欧陽詢を祖述しついに一家を成した。
江戸前期の古典学者。大和生まれ。名は共平、長流は号だがナガルとも読む。別に長竜と書くこともある。木下長嘯子に歌道を学び、著『万葉集管見』などで万葉学者として一家を成した。契沖と親交があり、自分が徳川光...
江戸前期の古典学者。大和生まれ。名は共平、長流は号だがナガルとも読む。別に長竜と書くこともある。木下長嘯子に歌道を学び、著『万葉集管見』などで万葉学者として一家を成した。契沖と親交があり、自分が徳川光...
読み方:ごんだ なおすけ幕末・明治の国学者・神道家。号は名は越舎。家は代々医を業とする。15才で幕府の侍医野間広春院に医道を学び、また安積艮斎に通学し漢学を修める。のち郷里に帰り、本朝古医道を起こし一...