「無教会派」を解説文に含む見出し語の検索結果(1~10/93件中)
昭和期のキリスト教無教会派の伝道者。新約聖書学者。福岡県生まれ。東大法科卒。内村鑑三門下で農商省勤務を経て聖書研究に。『聖書知識』刊行。内村没後無教会派を指導。著作集あり。(一八八五~一九七三)...
昭和期のキリスト教無教会派の伝道者。新約聖書学者。福岡県生まれ。東大法科卒。内村鑑三門下で農商省勤務を経て聖書研究に。『聖書知識』刊行。内村没後無教会派を指導。著作集あり。(一八八五~一九七三)...
読み方:うちむらかんぞう[1861〜1930]無教会派キリスト教伝道者・評論家。江戸の生まれ。一高教授のとき、教育勅語に対する敬礼を拒否して免職となる。日露戦争に際し、非戦論を唱えた。雑誌「聖書之研究...
読み方:うちむらかんぞう[1861〜1930]無教会派キリスト教伝道者・評論家。江戸の生まれ。一高教授のとき、教育勅語に対する敬礼を拒否して免職となる。日露戦争に際し、非戦論を唱えた。雑誌「聖書之研究...
読み方:うちむらかんぞう[1861〜1930]無教会派キリスト教伝道者・評論家。江戸の生まれ。一高教授のとき、教育勅語に対する敬礼を拒否して免職となる。日露戦争に際し、非戦論を唱えた。雑誌「聖書之研究...
読み方:やないはらただお[1893〜1961]経済学者。愛媛の生まれ。東大教授。植民政策を研究し、昭和12年(1937)戦争政策を批判して教授の職を追われ、第二次大戦後復帰。のち、東大総長。無教会派キ...
読み方:やないはらただお[1893〜1961]経済学者。愛媛の生まれ。東大教授。植民政策を研究し、昭和12年(1937)戦争政策を批判して教授の職を追われ、第二次大戦後復帰。のち、東大総長。無教会派キ...
読み方:やないはらただお[1893〜1961]経済学者。愛媛の生まれ。東大教授。植民政策を研究し、昭和12年(1937)戦争政策を批判して教授の職を追われ、第二次大戦後復帰。のち、東大総長。無教会派キ...
朝鮮の無教会派のキリスト教指導者。咸鏡南道出身。日本に留学し内村鑑三の聖書集会に出席、東京高師卒後帰国し『聖書朝鮮』誌を創刊。朝鮮的キリスト教の宣布を目指した。一九四二年筆禍事件で投獄されたが転向しな...
朝鮮の無教会派のキリスト教指導者。咸鏡南道出身。日本に留学し内村鑑三の聖書集会に出席、東京高師卒後帰国し『聖書朝鮮』誌を創刊。朝鮮的キリスト教の宣布を目指した。一九四二年筆禍事件で投獄されたが転向しな...
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「無教会派」の辞書の解説