「文守」を解説文に含む見出し語の検索結果(1~10/60件中)
禅僧。字は雪岑。一絲文守の師。五山詩僧。後水尾天皇の寵遇を受けた。
読み方:やまざわ よへい幕末・明治の紀州藩士。名は尹詮、号は東疄・文守翁・読画など。与平は通称。遠藤広実に学び、画を能くした。明治19年(1886)歿、74才。
読み方:やまざわ よへい幕末・明治の紀州藩士。名は尹詮、号は東疄・文守翁・読画など。与平は通称。遠藤広実に学び、画を能くした。明治19年(1886)歿、74才。
読み方:いわくら ともおき安土桃山・江戸初期の公卿。岩倉家の祖。父は木工頭久我具尭、一絲文守は弟。侍従・従二位権中納言を務めた。書を能くし、後水尾天皇から古今伝授を受け、和歌・連歌に堪能であった。万治...
読み方:いわくら ともおき安土桃山・江戸初期の公卿。岩倉家の祖。父は木工頭久我具尭、一絲文守は弟。侍従・従二位権中納言を務めた。書を能くし、後水尾天皇から古今伝授を受け、和歌・連歌に堪能であった。万治...
読み方:ぐとう とうしょく江戸前期の臨済宗の僧。美濃生。臨済宗美濃大仙寺の中興。姓は伊藤、愚堂は字。後水尾上皇の信頼を得、また将軍家光より府中に召され、法要を行った。門弟に至道無難や一絲文守らがいる。
読み方:ぐとう とうしょく江戸前期の臨済宗の僧。美濃生。臨済宗美濃大仙寺の中興。姓は伊藤、愚堂は字。後水尾上皇の信頼を得、また将軍家光より府中に召され、法要を行った。門弟に至道無難や一絲文守らがいる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 01:16 UTC 版)「永源寺」の記事における「主な行事」の解説3月19日 中興一絲文守禅師法要 中興開山であ...
読み方:ぶんちじょおう後水尾天皇の第一皇女。円照寺開基。母は大納言四辻公遠の娘与津子。幼名は梅宮、のち沢宮。法名は文智・大通文智。権大納言鷹司教平に嫁したが離婚。深く仏教に心を寄せ、禅僧一絲文守につい...
読み方:ぶんちじょおう後水尾天皇の第一皇女。円照寺開基。母は大納言四辻公遠の娘与津子。幼名は梅宮、のち沢宮。法名は文智・大通文智。権大納言鷹司教平に嫁したが離婚。深く仏教に心を寄せ、禅僧一絲文守につい...
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「文守」の辞書の解説