「天正遣欧使節」を解説文に含む見出し語の検索結果(1~10/246件中)
天正遣欧使節の一人。日向(宮崎県)都於郡城主伊東祐青の子で、名は祐益(疑問説あり)。一説に大友宗麟の甥。臼杵で受洗して教名マンショ(Mancio当て字は満所)。有馬のセミナリヨ(神学校)でラテン語を学...
天正遣欧使節の一人。日向(宮崎県)都於郡城主伊東祐青の子で、名は祐益(疑問説あり)。一説に大友宗麟の甥。臼杵で受洗して教名マンショ(Mancio当て字は満所)。有馬のセミナリヨ(神学校)でラテン語を学...
読み方:はらまるちの[1568?〜1629]安土桃山時代の天正遣欧使節の副使。肥前の人。マルチノは洗礼名で、本名は未詳。帰国後、通訳・出版に活躍。
読み方:はらまるちの[1568?〜1629]安土桃山時代の天正遣欧使節の副使。肥前の人。マルチノは洗礼名で、本名は未詳。帰国後、通訳・出版に活躍。
読み方:はらまるちの[1568?〜1629]安土桃山時代の天正遣欧使節の副使。肥前の人。マルチノは洗礼名で、本名は未詳。帰国後、通訳・出版に活躍。
読み方:ありまはるのぶ[1567〜1612]安土桃山時代のキリシタン大名。肥前日野江城主。洗礼名、ジョアン=プロタシオ。天正10年(1582)大友宗麟らと天正遣欧使節をローマに派遣した。
読み方:ありまはるのぶ[1567〜1612]安土桃山時代のキリシタン大名。肥前日野江城主。洗礼名、ジョアン=プロタシオ。天正10年(1582)大友宗麟らと天正遣欧使節をローマに派遣した。
読み方:ありまはるのぶ[1567〜1612]安土桃山時代のキリシタン大名。肥前日野江城主。洗礼名、ジョアン=プロタシオ。天正10年(1582)大友宗麟らと天正遣欧使節をローマに派遣した。
織豊時代の天正遣欧使節副使。肥前中浦出身。ローマに行ったが高熱のため教皇に謁見できなかった。帰国後イエズス会入会。マカオで学び、一六〇八(慶長一三)年司祭。一四年のキリシタン大追放で潜伏し活動したが、...
織豊時代の天正遣欧使節副使。肥前中浦出身。ローマに行ったが高熱のため教皇に謁見できなかった。帰国後イエズス会入会。マカオで学び、一六〇八(慶長一三)年司祭。一四年のキリシタン大追放で潜伏し活動したが、...
< 前の結果 | 次の結果 >