「増基法師」を解説文に含む見出し語の検索結果(1~10/14件中)
読み方:ぞうき平安中期の歌人。天暦(947〜957)のころの比叡山の僧と伝えられる。号、庵主(いおぬし)。歌は「後拾遺集」「新古今集」などにみえる。家集「増基法師集(庵主)」。生没年未詳。
読み方:ぞうき平安中期の歌人。天暦(947〜957)のころの比叡山の僧と伝えられる。号、庵主(いおぬし)。歌は「後拾遺集」「新古今集」などにみえる。家集「増基法師集(庵主)」。生没年未詳。
読み方:ぞうき平安中期の歌人。天暦(947〜957)のころの比叡山の僧と伝えられる。号、庵主(いおぬし)。歌は「後拾遺集」「新古今集」などにみえる。家集「増基法師集(庵主)」。生没年未詳。
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『増基法師集』(ぞうきほうししゅう)は平安時代の歌集。『いほぬし』『庵主日記』とも。いほぬしは庵主・廬主と記す増基法師の号から。平安期の私家集であるが、巻頭に30首の熊野紀行、巻末に50首の遠江日記を...
『増基法師集』(ぞうきほうししゅう)は平安時代の歌集。『いほぬし』『庵主日記』とも。いほぬしは庵主・廬主と記す増基法師の号から。平安期の私家集であるが、巻頭に30首の熊野紀行、巻末に50首の遠江日記を...
『増基法師集』(ぞうきほうししゅう)は平安時代の歌集。『いほぬし』『庵主日記』とも。いほぬしは庵主・廬主と記す増基法師の号から。平安期の私家集であるが、巻頭に30首の熊野紀行、巻末に50首の遠江日記を...
廬主(別字で庵主とも)(あんじゅ)- 平安時代中期の歌僧 増基が用いた号(いおぬし)- 上記増基の自撰家集『増基法師集』の通称(旧仮名遣で『いほぬし』) .mw-parser-output .dmbo...
楯ケ崎楯ヶ崎(たてがさき)は三重県熊野市と尾鷲市の境の海岸にある岩塊。目次1 概要2 交通3 脚注4 参考文献5 関連項目6 外部リンク概要熊野市の二木島湾の北側(位置)にある高さ約80m、周囲約55...
中古三十六歌仙(ちゅうこさんじゅうろっかせん)は、日本の平安時代末期に藤原範兼が『後六々撰(のちのろくろくせん)』に選び載せた和歌の名人36人の総称。三十六歌仙が選ばれた後に称されたもので、三十六歌仙...
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「増基法師」の辞書の解説