「坤宮官」を解説文に含む見出し語の検索結果(1~10/18件中)
読み方:だいひつ1 律令制で、弾正台(だんじょうだい)の次官。少弼(しょうひつ)の上に置かれた。2 孝謙天皇の時の紫微中台(しびちゅうだい)、およびそれを天平宝字2年(758)に改称した坤宮官(こんぐ...
読み方:だいひつ1 律令制で、弾正台(だんじょうだい)の次官。少弼(しょうひつ)の上に置かれた。2 孝謙天皇の時の紫微中台(しびちゅうだい)、およびそれを天平宝字2年(758)に改称した坤宮官(こんぐ...
読み方:だいひつ1 律令制で、弾正台(だんじょうだい)の次官。少弼(しょうひつ)の上に置かれた。2 孝謙天皇の時の紫微中台(しびちゅうだい)、およびそれを天平宝字2年(758)に改称した坤宮官(こんぐ...
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 06:30 UTC 版)「紫微中台」の記事における「坤宮官」の解説天平宝字2年(758年)淳仁天皇が即位すると、...
紫微中台(しびちゅうだい)は、749年に設置された令外官。皇太后の家政機関という体裁をとっていたが、実態は光明皇太后の信任を得た藤原仲麻呂指揮下の政治・軍事機関だった。後に坤宮官(こんぐうかん)に改称...
紫微中台(しびちゅうだい)は、749年に設置された令外官。皇太后の家政機関という体裁をとっていたが、実態は光明皇太后の信任を得た藤原仲麻呂指揮下の政治・軍事機関だった。後に坤宮官(こんぐうかん)に改称...
紫微中台(しびちゅうだい)は、749年に設置された令外官。皇太后の家政機関という体裁をとっていたが、実態は光明皇太后の信任を得た藤原仲麻呂指揮下の政治・軍事機関だった。後に坤宮官(こんぐうかん)に改称...
大原 継麻呂(おおはら の つぐまろ、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。名は嗣麻呂とも記される。官位は正五位下・因幡介。経歴淳仁朝の天平宝字4年(760年)正月に従五位下・坤宮少忠に叙任されるが、同年6...
大原 継麻呂(おおはら の つぐまろ、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。名は嗣麻呂とも記される。官位は正五位下・因幡介。経歴淳仁朝の天平宝字4年(760年)正月に従五位下・坤宮少忠に叙任されるが、同年6...
長背 広足(ながせ の ひろたり、生没年不詳)は、奈良時代中期から後期にかけての官人。氏は長瀬とも記される。氏姓は狛連のち長背連。外正六位下・狛文麻呂の子とする系図がある。官位は外従五位下・西市正。出...
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「坤宮官」の辞書の解説