「ありすがわのみや」を解説文に含む見出し語の検索結果(1~10/15件中)
読み方:ありすがわのみや おとひとしんのう江戸時代中期の親王。職仁親王王子。若宮改め遠久宮。桜町天皇御猶子となり親王となる。常陸大守。宝歴5年(1755)薨去、27才。
読み方:ありすがわのみや おとひとしんのう江戸時代中期の親王。職仁親王王子。若宮改め遠久宮。桜町天皇御猶子となり親王となる。常陸大守。宝歴5年(1755)薨去、27才。
読み方:ありすがわのみや つなひとしんのう江戸後期の親王。有栖川宮第7代。織仁親王の子、光格天皇の猶子、幟仁親王の父。法名は大功徳院。中務卿、一品に叙せられる。弘化2年(1845)薨去、62才。
読み方:ありすがわのみや つなひとしんのう江戸後期の親王。有栖川宮第7代。織仁親王の子、光格天皇の猶子、幟仁親王の父。法名は大功徳院。中務卿、一品に叙せられる。弘化2年(1845)薨去、62才。
読み方:ありすがわのみや たけひと しんのう有栖川宮幟仁親王の第四王子。兄熾仁親王の継嗣として親王宣下を受ける。初名は稠宮。英国海軍大学に留学。日清戦争には松島艦長として出陣する。常備艦隊司令官等を務...
読み方:ありすがわのみや たけひと しんのう有栖川宮幟仁親王の第四王子。兄熾仁親王の継嗣として親王宣下を受ける。初名は稠宮。英国海軍大学に留学。日清戦争には松島艦長として出陣する。常備艦隊司令官等を務...
読み方:ありすがわのみや おりひとしんのう江戸後期の親王。有栖川宮第六代。職仁親王の子、桃園天皇の猶子。幼称は寿手宮。出家後、竜淵と号す。法号は文聚院。中務卿・一品に叙せられる。九条尚実から書道の伝授...
読み方:ありすがわのみや おりひとしんのう江戸後期の親王。有栖川宮第六代。職仁親王の子、桃園天皇の猶子。幼称は寿手宮。出家後、竜淵と号す。法号は文聚院。中務卿・一品に叙せられる。九条尚実から書道の伝授...
読み方:ありすがわのみや四親王家の一。後陽成天皇の皇子好仁親王が寛永2年(1625)高松宮を創立したのに始まり、一時絶えたが後西(ごさい)天皇の皇子幸仁(ゆきひと)親王が寛文7年(1667)再興、寛文...
読み方:ありすがわのみや四親王家の一。後陽成天皇の皇子好仁親王が寛永2年(1625)高松宮を創立したのに始まり、一時絶えたが後西(ごさい)天皇の皇子幸仁(ゆきひと)親王が寛文7年(1667)再興、寛文...
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