DKSH
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/08/04 14:33 UTC 版)
| 種類 | 公開会社 |
|---|---|
| 市場情報 | SIX: DKSH |
| 本社所在地 | 8034 チューリッヒ市ヴィーゼン通り8番(Wiesenstrasse) |
| 設立 | 1865年 |
| 業種 | 卸売業 |
| 事業内容 | 合計4部門
|
| 代表者 | Stefan Butz(CEO) |
| 売上高 | |
| 外部リンク | 公式ウェブサイト |
DKSH(ディーケーエスエイチ、ドイツ語: DKSH Holding AG)は、アジア地域を中心に、法人を対象とする包括的事業サポートサービスを提供する商社。外資系企業でありながら日本で創業されたユニークな経歴を有する。日本においてはDKSHジャパン株式会社およびDKSHマーケットエクスパンションサービスジャパン株式会社が事業を展開。本社をスイス・チューリッヒに置き、世界37カ国以上で取引を展開している。スイス証券取引所上場企業(SIX: DKSH)。
沿革
創業から大正期まで
DKSHは19世紀にスイス人起業家がアジア地域(横浜、マニラ、シンガポール)で設立した商社にルーツを持つ。社名はDiethelm Keller Siber Hegnerの略号であり、 前身となった企業は3件でディートヘルム、エド・A・ケラーとシイベルヘグナー・エンド・カンパニー[注釈 1]に由来する[2]。
ディートヘルム商会(シンガポール)は、代表のヴィルヘルム・ハインリッヒ・ディートヘルム(Wilhelm Heinrich Diethelm)が1871年に経営権を買い取るまで旧称をホークラント商会(Hooglandt&Co. 1860年設立)といい、新代表の同族経営のもとで石油とゴムの取引における有力企業となった[2]。
3社のうち日本進出が最も早かったシイベル・ブレンワルド商会(Siber&Brennwald)はヘルマン・シイベル(Hermann Siber)と、カスパー・ブレンワルド(Caspar Brennwald)というスイス政府派遣の通商使節団の一員が組み、1865年(慶応元年)に横浜で創業し戊辰戦争の情報に接した。のちのシイベルヘグナー・エンド・カンパニーを経て、DKSHの歴史の始まりに位置づけられている[2]。
創業当時、シイベル・ブレンワルド商会が横浜居留地に構えた拠点は「横浜甲(こう)90番館」と呼ばれた商館(図1参照)にあり、日本の生糸取引の中心として「生糸王国日本」を築きあげる上で大きな役割を果たした[3]。また、国内初のガス事業にも参画し、横浜および銀座における日本初のガス灯建設にも尽力した他、明治時代中期には時計や機械等の輸入を開始するなど、商社として多くの足跡を残した[3]。
エドゥアール・アントン・ケラー(Eduard Anton Keller)は、1868年にマニラで創業したばかりのC・ルッツ商会(C. Lutz&Co.)に入社し、普仏戦争後の1887年に同社の経営を引き継いでエド・A・ケラー商会(Ed. A. Keller&Co.)に改めた。
ディートヘルム商会とエド・A・ケラー商会、シイベル・ブレンワルド商会[注釈 1]の3社は19世紀の終わりを迎えるとチューリッヒに拠点を置いて、日本から世界への生糸輸出や、スイスからアジアへの消費財輸出を軸に取引を拡大していく。シイベル・ブレンワルド商会は1907年に「シイベルヴォルフ商会」と改称すると、1910年には株式を発行して「シイベルヘグナー・エンド・カンパニー」となる[2]。
20世紀以降
20世紀前半には3社で商圏を棲み分け、日本と中国をおさえるシイベルヘグナー、エド・A・ケラーはフィリピンと香港で、ディートヘルムはシンガポールとインドネシアからタイとマレーシアでそれぞれ取引を展開する[2]。やがて第二次世界大戦後に東南アジア地域の独立が相次ぐと、取引は旧来、各社が個別におさえてきた商圏を越えて広がることになる[2]。
戦間期に関東大震災が発生、シイベル・ブレンワルド商会(当時)の社屋は被災し、商品として展示してあった大砲は震災の後片づけによって土中に埋まった。昭和期の後半に土地整理によって発掘されると横浜市に寄贈され、3門は発掘地点に近い場所を含めて屋外展示されている。
シイベルヘグナーは1932年に本社をチューリッヒに移転すると、第二次世界大戦後に横浜山下町90番地の社屋はアメリカ合衆国第8軍司令部に接収され、1950年夏に東京のスイス政府日本代表部から支援を受けて、進駐軍の将校宿舎として使われていた不動産の回収を交渉する[注釈 2]。
機構を改めて1964年にシイベルヘグナー・ホールディング・リミテッド(SiberHegner Holding Ltd.)となると、欧州での戦略強化を目指して吸収合併を動き、ダッチ・ハンデルス・フォルケール・グループを吸収(1972年)してオランダやドイツからオーストリアに構えた子会社を従える。アンバサダー・グループ(スイス)の各社吸収は1976年である。
エド・A・ケラー改めエドワルト・ケラーとディートヘルム[注釈 3]の合併は2000年に成立してディートヘルム・ケラー(Diethelm Keller Holding Ltd.)が発足、同社は各創業家子孫によるファミリー企業の性格を保持した[2]。その傘下のサービス会社(Diethelm Keller Services Asia Ltd.)は、DKSH発足の一翼を担うことになる。
株先を公開する前のDKSHは、ディートヘルム・ケラーが差し出した子会社を2002年6月19日にシイベルヘグナー・ホールディング・リミテッドが合併してDSKHホールディング(DKSH Holding Ltd.)として発足すると、一方で事業改革を急進的に進めてそれぞれの商圏と業務内容の重複を解消していく。その他方、運輸関連の拡大を目指してEAC運送(マレーシア EAC Transport)やコセ・ロジステイクス(韓国 Kose Logistics Co. Ltd.)買収したり、オーストラリアにも事業を拡大した[2]。
DKSHは2012年3月にスイス証券取引所に上場し、株式を公開した[5][6]。株主構成を見ると、株式の45%はDKSHの基盤を構成する同族私企業[注釈 4]が保有している[7]。
現在[いつ?] DKSHは、グローバルな経営は消費財とヘルスケア、生産資材とテクノロジーの各事業合計4部門で構成し、日本には3部門を置き、生産資材事業をDKSHジャパン株式会社が担当、また消費財ならびにテクノロジー事業はDKSHマーケットエクスパンションサービスジャパンが展開している。
DKSHジャパン
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 本社所在地 | 〒108-8360 東京都港区三田3-4-19 DKSH三田ビルディング |
| 設立 | 1865年(日本法人としては1965年) |
| 業種 | 卸売業 |
| 法人番号 | 7010401022692 |
| 事業内容 | 海外ブランドの輸入代理・原材料の輸入販売など |
| 代表者 | 代表取締役社長 マイケル・ロフラード(Michael Loefflad) |
| 従業員数 | 343人(2018年) |
| 関係する人物 | ヘルマン・シイベル(創業者) カスパー・ブレンワルド(創業者) |
| 外部リンク | DKSHジャパン株式会社 |
現存する外資系企業としては屈指の歴史を有する。取り扱い品目は各種分析装置、機械、腕時計、高級万年筆、医薬品原料、化学品原料、食品飲料原料等多岐に渡る。「日本シイベルヘグナー」として運営されてきたが、2009年4月1日、本社DKSHグループとの商号統一のため、社名を「DKSHジャパン」へ変更。2021年8月12日、DKSHグループの世界的な方針により、テクノロジー事業部門及び消費財事業部門を分社化し、新会社「DKSHマーケットエクスパンションサービスジャパン株式会社」を設立。DKSHジャパン株式会社は生産資材事業を運営している。
事業所
歴史
1800年代
- 1863年5月21日(文久3年4月4日) - スイス政府派遣の通商使節団が、オランダ汽船「メデューサ号」で来日。一行の中にカスパー・ブレンワルド書記官という青年がいた。
- 1865年(慶応元年) - 11月28日付ロンドン発の書簡にて、横浜にシイベル・ブレンワルド商会の設立を発表。資本金は1万UKポンド。ブレンワルドのパートナーにヘルマン・シイベルが選ばれた。
- 1866年(慶応2年) - カスパー・ブレンワルドが駐日スイス総領事に就任。また、天皇から横浜での土地入手に関する権利を与えられる。この年、初めてスイス製品が日本に輸入される。
- 1872年(明治5年) - 1874年にかけて高島嘉右衛門と協力して横浜に次いで東京銀座にガスプラントを設置し、日本初のガス燈を灯す。
- 1888年(明治21年) - シイベル・ブレンワルド商会の経営に創立者ヘルマン・シイベルの甥、ロベルト・ヘグナー・フォン・ユバルタが参加。シイベル・ブレンワルド商会より時計を仕入れたとの記述。
- 1898年(明治31年) - スイスからオメガの時計を輸入。
- 1899年(明治32年) - カスパー・ブレンワルド死去。
1900年代
- 1900年(明治33年) - ブレンワルドの死去に伴い,社名をシイベルヴォルフ商会に変更。
- 1903年(明治36年) - 日本蚕糸業での業績が認められ、大日本蚕糸会会長松平正直男爵より表彰される。
- 1906年(明治39年) - 1921年にかけて神戸、大阪、東京、上海に支店を開設。
- 1910年(大正10年) - 社名をシイベルヘグナー・エンド・カンパニーと改称。
- 1923年(大正12年) - 関東大震災により、横浜本社は壊滅的な打撃を受ける。被害総額は1千万スイス・フラン超。
- 1932年(昭和7年) - 株式会社に改組し、本社をスイスのチューリッヒに移転。
- 1952年(昭和27年) - シイベルヘグナー・エンド・カンパニー・リミテッド日本支社にシイベル機械の前身にあたる機械部が設けられた。
- 1964年(昭和39年) - チューリッヒにシイベルヘグナー・ホールディング・リミテッドを設立。これを機にグループ再編に着手し、1965年にかけて極東地区の各支店をシイベルヘグナー・グループ内の独立法人とした。
- 1965年(昭和40年) - 創業100年を機に日本法人化。日本シイベルヘグナー株式会社設立。シイベル時計株式会社を設立。
- 1967年(昭和42年) - シイベル精器株式会社が東京に設立され、シイベルヘグナー・エンド・カンパニー・リミテッド日本支社機械部の機器営業部門が全て同社へ移された。
- 1968年(昭和43年) - ロンドンにある英国の会社L.J.リッカーズ・エンド・カンパニー・リミテッドがシイベルヘグナー・グループ傘下となる。シイベル精器株式会社をシイベル清光株式会社へ社名変更。
- 1970年(昭和45年) - シイベル機械株式会社を東京に設立。
- 1974年(昭和49年) - シイベルヘグナー・ホールディング・リミテッドの資本金を1千万スイスフランに増資。これを機にグループ各社の社員に持株を認める。ライカの代理店をシュミット商会から引き継だ。
- 1977年(昭和52年) - シイベル清光株式会社がシイベル機械株式会社に合併。
- 1981年(昭和56年) - 新しい本社ビルがチューリッヒに完成。
- 1986年(昭和61年)4月1日 - 日本シイベルヘグナー株式会社はシイベル時計株式会社を吸収合併し,消費物資事業部門がその全業務を引き継いだ。
- 1988年(昭和63年) - 1865年シイベルヘグナーが横浜に設立されたその土地に,シイベルヘグナービルディングが建設される。
- 1991年(平成3年)1月1日 - 日本シイベルヘグナー株式会社がシイベル機械株式会社を合併し、全業務を承継。
- 1992年(平成4年) - シイベルヘグナー磯子サービスビルディングが完成。洋菓子開発研修センター、食品応用開発研究室及び医薬品原料試験室を設置。
- 1993年(平成5年) - 日本シイベルヘグナー本社がシイベルヘグナー三田ビルディングに移転し、シイベルヘグナー流通配送センターが袋井市にオープン。
- 1994年(平成6年) - オメガの販売権が1月1日付でSMH株式会社へ移管。
- 1997年(平成9年)1月1日 - テクニカルプロダクツ事業部門のメトラービジネスがメトラー・トレド株式会社に移管。
- 1998年(平成10年) - 社員参加証券を記名株に変更。同時にシイベルヘグナー・ホールディング・リミテッドの資本金を1,200万スイス・フランに増資,新たなコーポレイト・アイデンティティを導入。
- 1999年(平成11年) - シイベルヘグナー・ホールディング・リミテッドの資本金を1,600万スイスフランに増資。
2000年代
- 2001年(平成13年)11月 - 横浜のシイベルヘグナービルディングを売却。
- 2002年(平成14年) - シイベルヘグナー・ホールディング・リミテッドとディトヘルム・ケラー・サービス・アジア社が合併。シイベルヘグナー・ホールディング・リミテッドの資本金を1,600万スイス・フランに増資。ディーケーエスエイチ・ホールディング・リミテッド(DKSH Holding Ltd )が発足。
- 2009年(平成21年) - DKSHジャパン株式会社に商号変更。
- 2011年(平成23年)1月1日 - ミクロン・マシニングの日本事業を買収[3]。
- 2021年(令和3)8月12日、DKSHグループのスイス本社が主導する組織再編に伴い、テクノロジー事業部門と消費財事業部門を分社化し、新会社「DKSHマーケットエクスパンションサービスジャパン」を設立。
関連資料
- Mariko Fukuoka ; Alexis Schwarzenbach. "Between Trade and Diplomacy: The Commercial Activities of the Swiss Silk Merchants Siber & Brennwald in late Edo and early Mejij Japan. Robert Fletcher ; Robert Hellyer (eds.), ''Chronicling Westerners in Nineteenth-Century China and Japan: Lives, Linkages, and Imperial Connections.'' (London: Bloomsbury Academic, an imprint of Bloomsbury Publishing Plc, 2022) pp.83-103.
- ブレンワルドの日記(1862年から1878年まで)。
- 横浜開港資料館はDKSHホールディング日本からタイプ打ち原稿[注釈 5]を受贈、2008年から「ブレンワルド日記研究会」が翻訳して上梓。
- ヘルマン・シイベルの書翰(しょかん、1862年から1871年まで)、合計300通超。チューリッヒシルク産業史研究プロジェクト(リーダーはアレクシス・シュヴァルツェンバッハ Alexis Schwarzenbach)の過程で翻刻。
- シイベルは兄グスタフ・シイベル=ギジ(1827~1872年 ビジネスパートナー)に定期的に手紙を書いていた。大部分の所蔵はチューリッヒ中央図書館(Zentralbibliothek Zürich)、一部はDKSH スイス本社(チューリッヒ)に保管。
脚注
注釈
- 1 2 D、K、SHと略した企業名はそれぞれの前身として19世紀終わりの企業に発する。欧文表記はそれぞれDがDiethelm&Co.Ltd、KがEd. A. Keller&Co.、SHがSiberHegner&Co.。
- ↑ スイス政府代表部から第8軍司令官に宛てた問い合わせ状と、マッカーサー元帥名で下された返答書の写しが残る[4]。
- ↑ 合併前の企業名はそれぞれEdward Keller Holding Ltd.とDiethelm Holding Ltd。
- ↑ DKSHに合流した企業名は、Diethelm Keller Holding Ltd.。
- ↑ 手書きの原本はDKSHスイス本社(チューリッヒ)が保管。
出典
- ↑ “Annual Report 2024”. DKSH. 2025年2月20日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 “DKSH - 150 years of experience” (PDF) [創業150年の実績] (英語). DKSH Holding AG. 2017年9月24日閲覧。
- 1 2 3 『DKSHジャパンとミクロン・マシニングが、日本国内のマシニング事業の譲渡に合意』(PDF)(プレスリリース)DKSHジャパン、ミクロン・マシニング、2010年12月16日。2017年9月24日閲覧。
- ↑ 602: Siber Hegner and Company, Binder No. 1, 1 Jan 1949 - 31 Dec 1950, 1950.06-1950.07. 〔文書名:〕 Records of General Headquarters Far East Command ; Assistant Chief of Staff, G-4 [極東軍総司令部文書 ; 参謀第4部]. Entry 65. ボックス番号: 105 ; フォルダ番号: 29. pp. コマ番号1-19. 国立国会図書館書誌ID:11443792
- ↑ “Handelskonzern DKSH gelingt Debüt an Schweizer Börse” (ドイツ語). ノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥング (2012年3月20日). 2017年9月24日閲覧。
- ↑ “Handelskonzern DKSH gelingt Debüt an Schweizer Börse” (ドイツ語). SWI swissinfo.ch (2012年3月20日). 2026年8月3日閲覧。 “S. W. I. – Zweigniederlassung der Schweizerischen Radio- und Fernsehgesellschaft”
- ↑ “Diethelm Keller Group - Building Bridges by Tradition” [伝統という橋を架ける] (Press release) (英語). Diethelm Keller Group. 2017年9月24日閲覧.
関連項目
- アーノルド・ウイトリッヒ-昭和時代に神奈川県横浜市に在住した元DKSHジャパンの社員。
外部リンク
- 公式ウェブサイト - DKSHジャパン
- DKSHジャパン 木材加工機械部 (DKSHJapanWM) - Facebook
- DKSHJapanTEC - YouTubeチャンネル
- DKSH (@dkshgroup) - X(旧Twitter)
- 福岡万里子、アレクシス・シュヴァルツェンバッハ「貿易と外交の狭間で : スイス系生糸貿易商社シイベル・ブレンワルド商会の幕末明治初期の活動」横浜開港資料館 編集『横浜開港資料館紀要』第40号(横浜市ふるさと財団、2026年3月31日)
- DKSHのページへのリンク