茂川秀子とは? わかりやすく解説

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茂川秀子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/25 05:29 UTC 版)

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茂川 秀子(もかわ ひでこ、1955年頃 - )は、日本のミスコン女王。ミス・インターナショナル1974日本代表。

経歴・人物

1955年頃、生まれる。

1973年10月12日、甲南女子大学短期大学部1年在学中にミス・インターナショナル1974の日本代表を選定する大会で第2位入賞[1]。第1位の賀小美(樹れい子)は日本国籍を持たないと辞退[2]。彼女が日本代表として翌年の世界大会に出場することとなる。

1974年10月9日、東京都千代田区の日本武道館で開催された世界大会でTop15(セミファイナリスト)に残る[3]

1975年4月2日 - 9月24日、『おくにじまんスター自慢』に出演。

その他

『神戸っ子』の記事によると、「なんとなくミス・インターナショナルに選ばれてしまってそれが重くのしかかっている。1年の任期の後は封印し、普通の女の子に戻りたい」とのこと[4]。1974年当時、サンちゃんという犬を飼っていた[5]

備考

名前について、日本代表決定を伝える毎日新聞の記事では「茂川子」になっているが、ここではミス・インターナショナル公式サイト[6]に従う。1974年当時の学校について、甲南女子大学とする資料もある[4]

出典

  1. ^ 「88-61-89の"女王"「賞金は貯金します」ミス・インターナショナル」『毎日新聞』、1973年10月14日。
  2. ^ 「日本の美女交代 帰化手続き遅れ 小牧の賀さん辞退」『中日新聞』、1973年10月29日。
  3. ^ 1974”. pageantopolis.com. 2015年1月27日閲覧。
  4. ^ a b 「はばたけ、明日の空へ」『神戸っ子』第153号、服部プロセス株式会社、神戸市長田区、1974年1月1日、 5頁。
  5. ^ 「動物好きのお嬢さん 愛犬と一緒に」『神戸っ子』第163号、服部プロセス株式会社、神戸市長田区、1974年11月1日、 28頁。
  6. ^ 歴代日本代表”. miss-international.org. 一般社団法人国際文化協会. 2019年12月2日閲覧。



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