相良寺
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相良寺(あいらじ)は、熊本県山鹿市菊鹿町相良にある天台宗の寺院。九州四十九院薬師霊場第31番札所。肥後西国観音霊場第33番札所。山鹿三十三観音霊場第33番札所。通称は相良観音。
- ^ 『肥後国誌』による。なお、最澄(767~822年)と俊芿(1166~1227年)では、活動時期に約400年の開きがある。
- ^ 相良観音縁起による。『肥後鹿本吾平山相良寺』4頁は「朱雀天皇の天慶年中」と書き、相良寺オフィシャルページや、『熊本・観光文化検定 公式テキストブック』188頁も朱雀天皇と書く。例えばオフィシャルページ「相良寺の縁起と由来」では、「61代朱雀天皇の時代、皇后さまが子宝に恵まれなかったのか、ご出産で苦しんでおられたのか定かではございませんが、当時、皇室の勅使がご来山になり、7日間本堂にこもられ一心にご祈願されたところ、無事に62代の村上天皇さまがお生まれになられた」と説明されている。もっとも、村上天皇の出生は延長4年(926年)であるが、朱雀天皇は延長元年(923年)の出生で、この時まだ幼児で即位もしていない。朱雀天皇は村上天皇の兄で、延長4年当事の天皇は、村上天皇らの父である醍醐天皇(在位897~930年)である。
- ^ 『肥後国誌』は「後朱雀帝ノ皇后当寺ノ観音ニ祈リ給ヒ皇子御降誕ト云リ」との伝を載せる。その他、後朱雀天皇と記すものに『鹿本郡誌』604頁、『くまもと』66-67頁、『熊本県大観』鹿本郡案内5-6頁、『熊本県の地名』164頁など。
- ^ 朱雀天皇の在位は930~946年、後朱雀天皇の在位は1036~1045年と、両者には約100年の開きがある。
- ^ 朱雀天皇に皇女(昌子内親王)はあるが皇子はない。昌子内親王の出生も朱雀天皇退位後、村上天皇の天暦4年(950年)である。
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