札幌サドベリースクール
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サドベリースクールとは
アメリカのボストンにあるサドベリーバレー・スクールに共感し同じ理念の下で運営している学校の総称です。アメリカでは約40年の歴史があります。1967年にダニエル・グリーンバーグ氏がアメリカのサドベリー・バレーという地で始めました。
個人の自由が最大限に尊重され、学び方、学ぶ内容、学ぶ時期や時間を子どもたちは責任を持って選択していきます。学びたいことがあれば、それを訴えることでスクールが教師を探したり、あるいはどこかに学びに行くこともあります。
サドベリースクールは、いわゆるデモクラティアスクールのひとつであり、日本、アメリカ、ドイツ、ベルギー、カナダ、オーストラリア、イスラエル、オランダ、など世界中に数多くの学校が存在しています。
基本的な構造
・教育理念
子どもたちは大人に指図されなくても自由で学び成長する。
・子どもの尊重
大人と子どもは上下関係ではなくフラットな関係として、人格や意見を尊重される。
・時間割がない
子どもたちは時間を自由に使い、自分の意思で選択した活動を満足ゆくまでおこなう。それが最大の学びであり、その内容を否定されることがない。
・話し合い
スクールの方針、長期休みの期間、問題が起きたときの対処法など、大人が指示するのではなく話し合いに参加する意思を持つもの全員がスクールの運営の仕方や、今後の方針などを相談し決定する。
・評価されない
テストも通知表もなく、大人から評価を受けない。子どもは大人の目を気にして自分の意思と違うことをしたり、気に入られるためにいい子になろうとしないようになる。
・年齢ミックス
学年によるクラス分けがなく、いわゆる縦割りの効果を期待できる。年長の子は自然と小さい子のサポートをしたり、子ども同士で教えあったり学びあったりできる。上下関係はなく、それぞれが得意分野ではほかの子の教師にもなりうる。
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札幌サドベリースクールは2014年4月、子ども10名で開校し、同年12月に閉鎖されました。保護者の1人である細川(現代表)と竹村(現運営スタッフ)が2015年4月、運営を引き継ぐ形で再スタートしました。
このコラムはサドベリーバレー・スクール設立者であるダニエル・グリーンバーグ氏の著書『自由な学びが見えてきた』を参考に、現札幌サドベリー代表である細川美穂がまとめたものです。
『自由な学びが見えてきた』
■第一講 遊びの意味
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実際のところ人間は年齢に関係なく、遊ぶのが好きなようにできているらしい。その「遊び」に「教育システム」は頭を悩ませている。遊びたいという自然の欲求に対して、永遠の闘いを挑み続けています。「教育システム」の言うことを聞かない、いたずらっ子たちの、抑えきれない欲求と闘い続けているのです。
(自由な学びが見えてきた 文中より)
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教育と遊びは別のものだ、という考え方があります。実際、公教育では「勉強の時間」と「休み時間」が明確に分けられており、子どもたちは決められたカリキュラムの通りに教育を受けます。勉強の時間が終わると休息があり、次の勉強が始まります。学習は厳しく真面目なものだから楽しくないのは当たり前だという認識のもと、「教育を受けさせられている」状態です。
札幌サドベリーでは大人側が勉強のクラスを用意したり、出かける提案をすることはありますが、参加を強制されることはありません。遊びも勉強もどちらも同じように大切なものであり、遊びの中に勉強があり、勉強の中に遊びがあると考えるからです。いまあなたが楽しみたいものを楽しんでください、という対等な関係がここにはあります。
たとえば外で水遊びをしているときに草で色水を作ろうと思いついたとします。子どもたちは草木花で色水を作りながら、色の出方を想像し、トライとエラーを繰り返し、工夫しながら様々な色水を作りました。すごい集中力でした。その集中状態こそが遊びの本質であり、もっとも多く学べるときなのだと私は考えます。
つまり子どもたちは遊びを通して想像力と忍耐力と集中力など、社会で生きていくときに必要なスキルを総合的に培っているのだ、ということです。このような集中状態になったとき、小学校6年間の勉強は2週間で終わるといわれています。やる気になったときにやればいい。ですが、そのやる気がいつ算数や国語に向かうのかというのは未知数です。親にとってはチャレンジかもしれません。
嫌々でもやらせる労力と、やる気になるのを待つ忍耐、どちらを選ぶのかは親御さんの考え方ですが、私はやる気になるのを待つ方が好きですし、口うるさくない親に見守られている子どもは、自分の伸びたい方向に伸びることを許され、苦手があってもいいんだと自分を認めることにもなり、心身の成長によい影響があるだろうと考えています。
子どもの力を信じ「何かに没頭する時間」を否定されることのない環境を札幌サドベリーでは用意しています。
■第二講 主成分としての会話
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「どうやったらより広い世界を見ることができるのだろう?自分の考えだけでなく、相手の考えを知ること。それがその手助けになる…」と。
つまり「会話」ほど、人生の成功につながる、素敵な進化の贈り物はありません。「会話」をマスターした人、他者の「モデル&モード」に分け入る能力を身につけた人こそ、急速に変化する外部社会に踏み込み、そこで起きていることを、その瞬間、その瞬間につかむことのできる人なのです。こうした「会話」をマスターしていない人は、最も効果的に学ぶ方法を奪われて来た人です。
(自由な学びが見えてきた 文中より)
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いまの日本では、学校で教えてもらえないことのひとつに「会話」があると思います。話すこと、聞くことの重要性を知らず、社会人になるわけです。コミュニケーションは社会でなくてはならないスキルであり、仕事をする上でどれほど必要なものか、社会人になってから知るような状況です。
しかしながら「会話」はすぐに身につくものではありません。自分の気持ちに気づいていない人は「どう思う?」と聞かれても答えられないでしょう。嫌われたくない、いい人でいたいという気持ちが強い人は「相手を不快にさせない言葉」を探すでしょう。感情を抑圧することに慣れた人は、不意に自分の中から怒りがわいてきたとき相手の前から姿を消そうとするかもしれません。自分に自信がない人は、はっきりと意見を持っている人を前にすると「怖い」と感じるというのもあります。
コミュニケーションとは、つまりは心の動きを表現することと言えます。心と感情は切り離せません。喜怒哀楽の表現はそのときの心の反射を表していますが、反射的に怒ってしまうとき、人は、心の奥に悲しみや寂しさとの共鳴 起こっているのではないでしょうか。寂しいと素直に言えないから、その感情の対処として怒るということです。そういった意味で、本人が無意識だったとしても、表現している言葉と本当に心が求めていることの間に差が生じるということが起こりがちです。
たとえば誰かが怒っているとして、その心情を想像し、いまの状況を冷静に観察してみると、もしかして「私はこうしてほしかったのにそのように扱ってくれなかった」というのを言えなくて怒っているかもしれない、という分析ができるかもしれません。どのようなことであれ、感情は相手の反応の問題であり、私の心ではないのだと境界線を引くことができれば、相手の感情に翻弄されずに済みます。
そこでもし自分自身の感情の動きを自覚できたなら、「いま私の心には悲しみがある。自分が大切にされていないように感じているのかもしれない。それが悲しみとなって出てきているようだ。いまの私はそんな状態なので、これについて助けてほしい」と言えるようになると対人関係において隠すことはなくなります。もう自分の弱さに負けているのですから。頼り、頼られ、助け、助けられ。これがまさに真のコミュニケーションなのだと思います。
そしてもうひとつ大切なこと。もし相手に助けを求めて「ノー」と言われ、傷ついたとしても、相手を責めるのではなく、その傷を自分のものとして受け止める心の強さと、痛みを感じきるトレーニングのような経験が社会で自立した大人として生きていくために必要ではないかということも、常々思っています。心臓の筋トレですね。
このようなことから、札幌サドベリーではコミュニケーション能力を育むことを重要視しております。「アサーティブに話ができる」ことがごく普通である環境で育つ子は、それらの体験が染み込んでいるのですから、社会に出たときに強力なスキルをすでに身につけていることになります。
○○○ アサーティブなコミュニケーションとは ○○○
→自分と価値観の違う相手に対して、卑下したり居丈高にならず、堂々と自分の気持ちや意見を言うこと。
1、自分にも相手にも誠実になる
自分の気持ちにウソをつかない。自分の中の声に耳を傾ける。
2、素直に話す
相手に伝わるように話し、お互いの違いについて理解を深める。
3、対等であること
言いやすい人にだけ言うのではなく、誰に対しても対等に接する。目上の人でも後輩でも、言うべきことを言うのが対等であるということ。
4、人も自分も責めない
言ったことはもちろん、言わなかったことにも責任を持つ。その場で発言しないならあとで文句を言わない。言いたいことがあるなら、その場で発言する。
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日々の関わりの中はもちろん、なにかあったときの話し合い、子どもたちとのミーティングのときなど、ひとりひとりに意見を聞くということをしっかりやります。「あなたの気持ちを聞かせてください」という関わりです。アートのカードを使うこともあります。カードを選び、それぞれの感想をシェアすることで、私とあなたは違うんだ、ということを視覚からも理解する助けになります。
自分は自分。私は私。かけがえのない存在なんだと感じることができると、自分の気持ちを「話す」ことができるようになっていくのではないか。「話す」ことを真剣に聞いてもらえたら、他者を理解しようとする気持ちも出てきて「聞く」ことができるようになっていくのではないか。
会話についての試みはまだ始まったばかりですが、子どもたちが心置きなくコミュニケーションを練習できる場所として、まずはスタッフがコミュニケーションを習得しているかどうかが重要であると考えています。
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