山下淳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/06/02 08:08 UTC 版)
山下 淳(1959年6月7日~)兵庫県神戸市に警察官の父と教育者である母親の長男として生まれ、神戸市兵庫区で育つ。京都外国語大学に在学当時からラジオ大阪で放送作家をめざし、卒業後に大手広告代理店(大広)のクリエイターとして勤務する。江崎グリコやソニーの販売促進を手掛け頭角を現すが退職しバックパッカーとしてカナダへ渡る。帰国後、神戸市のエンジニアとして勤務し阪神淡路大震災では、給水管復旧の責任者を経て退職する。自らを「自遊人」と名乗り、自由奔放な社会生活を送る最中、恩師でもある前川篤(故 神須学園校長)との出逢いが運命を変え2007年から高等専修学校の教壇に立ち若者自立塾 室生館の運営と石川県 発達障害者協会の設立に寄与する。日本に於けるティーチプログラム(TEACCH プログラム)を実践し多くの障害者を社会へ送り出す。2015年~自立訓練(生活訓練)事業の研鑽と実践に取り組み、「障害者就労の歩く啓発者」との異名をとり多くの障害者とその家族から親しまれている。現在は、日本行動療法学会会員として、福祉評論家として法人の設立と障害者就労の啓発活動に取り組んでいる。
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