ダヴィド・ディ・トマソとは? わかりやすく解説

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ダヴィド・ディ・トマソ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/23 00:05 UTC 版)

ダヴィド・ディ・トマソ
名前
本名 David di Elias Alemu Tommaso
愛称 ディト(DiTo)
基本情報
国籍 フランス
生年月日 (1979-10-06) 1979年10月6日
出身地 エシロル
没年月日 (2005-11-29) 2005年11月29日(26歳没)
身長 183cm
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-2000 ASモナコ 14 (0)
2000-2004 CSスダン・アルデンヌ 77 (2)
2004-2005 FCユトレヒト 44 (1)
代表歴2
1996-1997  フランス U-17 5 (0)
1999-2000  フランス U-21 8 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年2月10日現在。
2. 2016年6月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ダヴィド・ディ・トマソDavid di Tommaso1979年4月9日 - 2005年11月29日 )は、フランスエシロル出身のプロサッカー選手。現役時代のポジションはDF(CB)。

現役中の2005年11月、心疾患により26歳で死去した。

経歴

クラブ

ASモナコでプロキャリアをスタート。1999-00シーズンにはリーグ・アン制覇を達成した。

2001年、CSスダン・アルデンヌに移籍。

2004年、FCユトレヒトに移籍。初年度から主力に定着し、シーズン終了後にはサポーター投票でチームの年間ベストプレーヤーに選ばれた。2005年11月27日のアヤックス・アムステルダム戦が最期の試合となった[1]

代表

U-17とU-21の代表歴があり、1996年にUEFA U-17欧州選手権(当時はU-16)、2002年にUEFA U-21欧州選手権に参加した。

突然の死とその後

2005年11月29日、ユトレヒトの自宅で、ベッドの上で心肺停止状態になっているのが発見され、そのまま死亡が確認された[2]

2005年12月1日、FCユトレヒトのホームスタジアムでお別れ会が開かれ、サポーター14,000人が詰めかけた。ユトレヒトとスダンはディ・トマソがそれぞれのクラブで着用していた背番号「4」と「29」を永久欠番にすると発表した。

2007年3月、モナコ時代のチームメイトで親友だったガエル・ジヴェセバスティアン・スキラシが中心になってチャリティーセールを開催。収益金は全額ディ・トマソの妻と息子に渡された。

脚注

  1. ^ FC Utrecht – Ajax, 27 november 2005: Het laatste duel van Di Tommaso” (Dutch). ad.nl (2006年9月26日). 2013年11月30日閲覧。
  2. ^ Utrecht mourn Di Tommaso's death”. BBC Sport (2005年12月2日). 2013年11月30日閲覧。

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