ジョン・モンタギュー (初代モンタギュー男爵)とは? わかりやすく解説

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ジョン・モンタギュー (初代モンタギュー男爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/11 00:47 UTC 版)

ジョン・モンタギュー
John Montagu
初代モンタギュー男爵
ジョン・モンタギューの墓棺(ソールズベリー大聖堂
在位 1357年 - 1390年ごろ

出生 1330年ごろ
死去 1390年ごろ
埋葬 イングランド王国ソールズベリー大聖堂
配偶者 マーガレット・ド・モンザーマー
子女 ジョン
エレノア
トマス
シビル
家名 モンタギュー家
父親 初代ソールズベリー伯ウィリアム・モンタギュー
母親 キャサリン・グランディソン
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初代モンタギュー男爵ジョン・モンタギュー(John Montagu, 1st Baron Montagu, 1330年ごろ - 1390年ごろ)は、14世紀のイングランド貴族で、エドワード3世に忠実な家臣。

生涯

初代ソールズベリー伯ウィリアム・モンタギューとその妻キャサリン・グランディソンの子であり、第2代ソールズベリー伯ウィリアム・モンタギュー(1328年 - 1397年)の弟であった。また、数人の姉妹がいた。

1357年に議会に召集された[1]ジャン・フロワサールは、1349年のカレー包囲戦においてエドワード3世と共に参加した者の一人として「ジョン・モンタキュート卿」と記している[2]

彼は、第2代ド・モンザーマー男爵トマス・ド・モンザーマーとその妻マーガレット・ド・ブリューズの娘で相続人であったマーガレット・ド・モンザーマーと結婚した。夫妻には以下の子女がいた。

  • ジョン(1350年頃 - 1400年) - 第3代ソールズベリー伯
  • エレノア - ジョン・ディナム(1359年 - 1428年)と結婚[3]
  • トマス - ソールズベリー大聖堂の首席司祭
  • シビル - エイムズベリー女子修道院長

ジョンの子孫は紋章にモンザーマー家の紋章である「金地に、赤色のくちばしと脚をもつ翼を広げた緑の鷲」を加えた。

脚注

  1. ^ Stephen, Sir Leslie; Lee, Sir Sidney (1909). Dictionary of national biography. Smith, Elder & Co.. https://books.google.com/books?id=sntLAQAAIAAJ&pg=PA774 
  2. ^ Froissart, John (1844). The Chronicles of England, France and Spain. London: William Smith. pp. 192–5. https://archive.org/stream/chroniclesofengl01froi1#page/n11/mode/2up 
  3. ^ Richardson, Douglas (2011). Plantagenet Ancestry: A Study in Colonial and Medieval Families. I. Salt Lake City. pp. 660-1 



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