ジョン・フィッツアラン (第13代アランデル伯)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/26 11:04 UTC 版)
ジョン・フィッツアラン John Fitzalan |
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第13代アランデル伯 | |
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在位 | 1415年 - 1421年 |
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称号 | 第3代アランデル男爵 マルトレイヴァース男爵 |
出生 | 1385年8月1日![]() |
死去 | 1421年4月21日(35歳没) |
埋葬 | ![]() |
配偶者 | エレノア・バークレー |
子女 | ジョン ウィリアム |
家名 | フィッツアラン家 |
父親 | 第2代アランデル男爵ジョン・フィッツアラン |
母親 | エリザベス・ル・ディスペンサー |
第13代(6代)アランデル伯ジョン・フィッツアラン(John Fitzalan, 13th (6th) Earl of Arundel, 1385年8月1日 - 1421年4月21日)は、イングランド貴族。バス騎士。
生涯
ジョン・フィッツアランは、1385年に第2代アランデル男爵ジョン・フィッツアランとエリザベス・ル・ディスペンサーの子として生まれた。1390年に父が早世すると、ジョンは第3代アランデル男爵となり[1]、1405年に亡くなった祖母エレノア・マルトレイヴァースからマルトレイヴァース男爵の称号と領地を相続した[2]。1415年、父の従兄弟である第12代アランデル伯トマス・フィッツアランが死去した。ジョンは最も近い男性親族として相続人であったが[3]、亡くなった伯爵の姉エリザベスを母とする第2代ノーフォーク公ジョン・モウブレーも相続権を主張した。ジョンの生前にこの問題は決着せず、ジョンは第13代アランデル伯ではなく、第3代マルトラヴァース男爵として議会に召集された。
ジョンは、ヘンリー4世の戴冠式の前夜の1399年10月12日に騎士とされた若い貴族の一人であった。1415年、ジョンはヘンリー5世の大陸遠征に参加した。1421年に亡くなり、アランデル城のフィッツアラン礼拝堂に埋葬された[2]。
結婚と子女
ジョンは、サー・ジョン・バークレーとエリザベス・ベターショーンの娘エレノア・バークレーと結婚した。この結婚で以下の子供が生まれた。
脚注
- ^ Cokayne 2000, p. 261.
- ^ a b c Cokayne 2000, p. 247.
- ^ Mosley 2003, p. 2914.
- ^ Cokayne 2000, p. 248.
参考文献
- Cokayne, G.E. (2000). Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, Extant, Extinct, or Dormant. Vol. 1. London: St Catherine Press
- Mosley, C. (2003). Burke's Peerage, Baronetage and Knightage. Wilmington: Burke's Peerage
イングランドの爵位 | ||
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先代 トマス・フィッツアラン |
アランデル伯 1415年 - 1421年 |
次代 ジョン・フィッツアラン |
先代 エレノア・マルトレイヴァース |
マルトレイヴァース男爵 1405年 - 1421年 |
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