コルトレイク条約とは? わかりやすく解説

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コルトレイク条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/08 16:01 UTC 版)

コルトレイク条約
: Traité de Courtrai
: Verdrag van Kortrijk
署名 1820年3月28日
署名場所 コルトレイク
締約国
主な内容 フランス・ネーデルラント国境の画定
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コルトレイク条約で定められた、フランス復古王政ネーデルラント連合王国の国境。

コルトレイク条約(コルトレイクじょうやく、フランス語: Traité de Courtraiオランダ語: Verdrag van Kortrijk)は、1820年3月28日コルトレイクにおいてフランス復古王政ネーデルラント連合王国の間で締結された条約である[1]

条約により二国間の国境線が定められた[1]。1830年にベルギー王国が独立した後、この国境線はそのままベルギーとフランスの国境線英語版になり、以降細かい変更を経て現代に至る[1][2]

条約に先立ち、1819年にフランス・ネーデルラント国境で境界石が設置された[3]。コルトレイク条約では境界に関する議論が必要な場合はフランスとベルギーの代表で構成される委員会が討議すると定められたが[1]、この委員会の会議は1930年以降開催されていない[4]

2021年5月にはベルギー領エルクリンヌ英語版で境界石が農家に動かされるという事件が起こった[3]。境界石は7フィート(2.2メートル)ほどフランス領側に動かされ、農家の土地だけでなくベルギー領も拡大し不注意にも条約に違反してしまったが、近隣のフランス側の村とベルギー側の村のそれぞれの村長は、この「領土拡大」を気さくに受け止めており、農家には境界石を元の位置に戻すように要請する公式文書が発せられた[5]。要請に応じなければ、1930年以来のフランス・ベルギー国境画定委員会の開催、あるいは刑事訴追もあり得るとされるが、エルクリンヌの村長は取材に対し「快く応じてくれれば、何の問題もない。みんな和やかに問題を解決できるはずだ」と述べた[6]

出典

  1. ^ a b c d Questions et Réponses” (フランス語). Sénat de Belgique (1999年12月21日). 2021年5月5日閲覧。
  2. ^ ベルギー人男性、知らぬうちに国土拡大 フランス領奪う”. AFPBB News (2021年5月5日). 2021年5月5日閲覧。
  3. ^ a b ベルギー農家がフランスとの国境石を移動、国土面積広くしちゃった”. CNN.co.jp (2021年5月5日). 2021年5月5日閲覧。
  4. ^ Belgian farmer accidentally moves French border” (英語). BBC News (2021年5月4日). 2021年5月5日閲覧。
  5. ^ A Farmer Moved a 200-year-old Stone, and the French-Belgian Border” (英語). New York Times (2021年5月4日). 2021年5月5日閲覧。
  6. ^ ベルギーの農家、うっかり領土「拡大」 国境の標石動かす”. BBCニュース (2021年5月5日). 2021年5月5日閲覧。



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