クリスティアン・ウルリヒ1世 (ヴュルテンベルク=エールス公)とは? わかりやすく解説

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クリスティアン・ウルリヒ1世 (ヴュルテンベルク=エールス公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/04 05:37 UTC 版)

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クリスティアン・ウルリヒ1世の銀貨

クリスティアン・ウルリヒ1世(Herzog Christian Ulrich I. von Württemberg-Oels, 1652年4月9日 エールス - 1704年4月5日 エールス)は、シレジアヴュルテンベルク=エールス公

生涯

ヴュルテンベルク=エールス公ジルフィウス1世ニムロートとその妻でエールス公カール・フリードリヒ1世の娘エリーザベト・マリーの間の第4子、三男として生まれた。1669年、長兄のカール・フェルディナント(1650年 - 1669年)が死去したためにベルンシュタット公国を代わりに相続した。1697年に次兄のジルフィウス・フリードリヒが嗣子の無いまま死ぬと、ベルンシュタットを甥のカールに譲り、自らはエールス公領およびユリウスブルク、メツィボルとトレプニッツの所領を受け継いだ。

1698年、ザンクト・ヨハンネス城(Schloss- und Hofkirche St. Johannes)内の宮廷教会に公爵家の墓廟を増築したほか、エールス城(Schloss Oels)に貴重な美術品と書物のコレクションを築き上げた。また1685年にザクセン貴族のプリットヴィッツ家(Prittwitz)からノイドルフ(Neudorf)の所領を買い上げ、1692年までに7年をかけてバロック様式の城館と村を建築した。城の名前は2番目の妻ジビュレ・マリーに因み、ジビュレノルトと名付けられた。1704年に死去し、自らが建立した公爵家霊廟に埋葬された。

子女

1672年3月13日にベルンブルクにおいて、アンハルト=ベルンブルク侯クリスティアン2世の娘アンナ・エリーザベト(1647年 - 1680年)と最初の結婚をした。夫妻は間に7人の子女をもうけた。

  • ルイーゼ・エリーザベト(1673年 - 1736年) - 1688年、ザクセン=メルゼブルク=ラウフシュタット公フィリップと結婚
  • クリスティアン・ウルリヒ(1674年)
  • レオポルト・ヴィクトル(1675年 - 1676年)
  • フリーデリケ・クリスティーネ(1676年)
  • ゾフィー・アンゲリカ(1677年 - 1700年) - 1699年、ザクセン=ツァイツ=ペーガウ=ノイシュタット公フリードリヒ・ハインリヒと結婚
  • エレオノーレ・アモーネ(1678年 - 1679年)
  • テオドージア(1680年)

1683年10月23日にドーバールークにおいて、ザクセン=メルゼブルク公クリスティアン1世の娘ジビュレ・マリー(1667年 - 1693年)と再婚し、間に7人の子女をもうけた。

  • クリスティーネ・マリー(1685年 - 1696年)
  • クリスティアン・エルトマン(1686年 - 1689年)
  • エレオノーレ・ヘートヴィヒ(1687年 - 1688年)
  • ウルリーケ・エルトムーテ(1689年 - 1690年)
  • カール・フリードリヒ(1690年 - 1761年)
  • クリスティアン・ウルリヒ(1691年 - 1734年)
  • エリーザベト・ジビュレ(1693年 - 1694年)

1695年2月4日にハンブルクにおいて、オストフリースラント侯エンノ・ルートヴィヒの娘ゾフィー・ヴィルヘルミーネ(1659年 - 1698年)と3度目の結婚をし、間に娘を1人もうけた。

  • アウグステ・ルイーゼ(1698年 - 1739年) - 1721年、ザクセン=ヴァイセンフェルス=バルビ公ゲオルク・アルブレヒトと結婚

1700年12月6日にギュストローにおいて、メクレンブルク公グスタフ・アドルフの娘ゾフィー(1662年 - 1738年)と4度目の結婚をしたが、間に子供は無かった。

参考文献

  • Sönke Lorenz (Hrsg.): Das Haus Württemberg. Ein biographisches Lexikon. Kohlhammer, Stuttgart 1997, S. 208–209, ISBN 3-17-013605-4



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