THE POGO 概要・来歴

THE POGO

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/14 19:29 UTC 版)

概要・来歴

JIGHEADの小河原良太が中心となり現the pillows佐藤シンイチロウと共に、1985年に結成(結成ライブの対バンはTHE BLUE HEARTS)。新宿LOFT・渋谷屋根裏を中心にライブを行う。1986年6月、ドラムスを塚本純にチェンジ。同年9月に出したEP「ラジカルゲーム」を発売後即完売させたことで業界から注目される。発売後、純の実弟である塚本研がベースで加入、人気も相乗効果で高まる。

1987年にはインディレコード最大手キャプテン・レコードと契約。ミニアルバム『HYSTERIC GENERATION』を発表しロングセラーのヒットとなる。翌1988年にはさらに2枚のミニアルバムを発売(『FUNKY ROCK'N ROLL』『Please Please Please』)。いずれもインディーズチャート初登場1位となり、特に現MOSQUITO SPIRALの春日弘(ex.DISSARAY、THE IDIOT IDOLATERS)加入後の『Please Please Please』はインディでありながらオリコンチャートの94位に上り詰め、1988年8月に行われた『ワンダーランドロックフェス』で当時メジャーで人気を博していたTHE BLUE HEARTSより観客が沸くというステージを目の当たりにした(出典『宝島』)メジャーレコードレーベル各社は急いで争奪戦を開始した。

1989年、徳間ジャパンとメジャー契約。N.Y. レコーディングを敢行。デビュー・シングルのレコーディングエンジニアにはラモーンズを手掛けたグレン・コロトキンが起用された。1stアルバム『THE POGO』は約25万枚を超えるヒットを記録。2nd『1990』(プロデューサーに鳥井賀句を起用)ではパンクロックの枠にとらわれないサウンドの成長を遂げ、音楽雑誌(『宝島』『Pachi-Pachi』等)から絶賛を受けた。1992年『THE WORST OF POGO』を発表後、自らのプロデュースに戻り、スリリングなパンクサウンドを標榜。だが、バンドのピークともいえる傑作『COCK AND BULL TUNES』を発表後、突如解散した。ビデオ『HISTORY OF POGO』での小河原良太の言葉によると「これがPOGOの完璧なサウンドだと分かったから、解散した」とある。

2006年9月8日、新宿LOFT30周年を記念し1夜限りの再結成を果たした(参加メンバーは小河原・春日のみ)。

2008年11月8日、トリヴュートアルバム『Search Out The Jams 〜THE POGO tribute album〜』の発売を記念したイベントで、オリジナルメンバーでのライブが実現。またその流れで、2008年11月27日に下北沢シェルターでオリジナルメンバーでのワンマンライブが行われた(チケットは即完売:オークションで1万5000円のプレミアムがついた)。

2010年徳間ジャパンで発売された全てのアルバムがデジパック紙ジャケット/24bitデジタルリマスターにて再発。それに伴い、過去発売されたビデオもDVD化され再発された。

2022年10月29日復活。




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