Il-2 (航空機)
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戦闘
初陣は1941年6月27日、第4航空攻撃連隊により5機がドイツ軍を襲撃した。1機の主翼に機関砲弾を受け、大きな穴が開いたものの、帰還した。しかし、対地攻撃任務は苛烈であり、同隊はその後の12日間で427回出撃し38機を喪失、パイロットは18名を失った。一日当たり36回の出撃である。装甲厚から見ても、ドイツ軍機の20mm(MG 151)や30mm(MK 103)といった大口径機関砲弾の正撃には耐えられないが角度や距離、弾種によっては弾くこともあった。また20mm榴弾の命中した写真があるが装甲個所の損害はわずかにへこむ程度である。
単座型は、後部銃座がなく運動性と高速性能に劣るため、敵戦闘機に執拗に銃撃をかけられた。統計によればこの時期、8〜9回の出撃で1機が失われることもあった。攻撃機全体の統計としては、大戦全体を通じ53回の出撃で1機が失われた。
Il-2が攻撃に主用したのはロケット弾と成形炸薬爆弾のコンテナだった。ロケット弾は翼下にレールを装着し、口径82mmのRS-82、口径132mmのRS-132を8ないし4発搭載した。命中率は低く、戦車に対し降下角度30度、距離300mまで近づいて8発を全弾斉射した場合、命中率は25%だった。
1943年7月、クルスク戦においてPTAB(成形炸薬爆弾)が用いられた。重量1.5kgから2.5kgの弾頭を翼内爆弾倉に搭載、200発を投下し、効果範囲は高度300mから攻撃して幅15m、長さ70mほどを覆った。Il-2はこれを編隊を組んで投網のように投下した。クルスク戦では46機と33機のグループが、戦闘機の護衛のもとで進出、ドイツ軍戦車部隊に攻撃。偵察写真では200輌以上の車両が放棄されたと戦果判定された。
さらに23mm機関砲の徹甲弾は40度以上の降下角で距離400mからドイツ軍中戦車の上面を貫通可能だった。Il-2がそのような機動で攻撃をかけるのは困難だったこともあり、空からの対戦車攻撃用に後退角をつけた37mm機関砲を搭載したIL-2 NS-37や、同じく対戦車戦砲撃用に後退角を付けた45mm機関砲を搭載したIL-2 NS-45が開発された。特に前者は本格的な量産も行われ、ソ連の対独勝利に貢献した。
アレクサンドル・イェイモフ大尉は1942年夏から222ミッションに出撃した。戦果は戦車126輌、航空機85機(地上撃破)、機関車30台、大砲193門、対空機関砲43門を撃破した。さらに空戦で7機撃墜したとされる。
Il-2と後継機のIl-10は、合わせて10,759機が戦闘で失われたものの、東部戦線で猛威をふるい対独戦の勝利に貢献した。
注釈
出典
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