愛媛県同和対策協議会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/17 14:15 UTC 版)
設立の目的は、保守県政護持のために、部落解放同盟愛媛県連合会の再建を阻止することにあった。この結果、松山市を除き、愛媛県内では部落解放同盟を同和行政の公認団体として認めない姿勢が2006年現在も続いている。もっとも、部落解放同盟と別組織ながら、内実は部落解放同盟の考え方で運動を進める者たちが主流だったとの証言もある[1]。
2002年に愛媛県人権対策協議会に変更した[1]。
運動方針
- 「対話と強調」
- 「行政と共闘」
- 「教育との連帯」
- (註)これらは「愛媛路線」と呼ばれる。
参考文献
外部リンク
- 1 愛媛県同和対策協議会とは
- 2 愛媛県同和対策協議会の概要
- 愛媛県同和対策協議会のページへのリンク