ブーパーレーンドラ・マッラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/04 08:49 UTC 版)
生涯
1687年、父パールティヴェーンドラ・マッラが宰相ラクシュミーナラーラーヤナ・ジョーシーに暗殺されると、即位した。
1690年、強力な宰相ラクシュミナーラーヤナが殺害されると、カトマンズの強勢に陰りが見えてきた。その後、王母リッディラクシュミーが実権を握った。
1696年、バクタプルがパタンと組み、カトマンズを攻撃した。その後、ブーパーレーンドラは王母と不仲になり、1697年に王母を捕えて追放、投獄した。
1700年、ブーパーレーンドラは聖地巡礼の途中に死亡し、4歳の息子バースカラ・マッラが即位した。
参考文献
- 佐伯和彦 『ネパール全史』 明石書店、2003年。
関連項目
- 1 ブーパーレーンドラ・マッラとは
- 2 ブーパーレーンドラ・マッラの概要
- ブーパーレーンドラ・マッラのページへのリンク