ジョン・ロッテスリー (第2代ロッテスリー男爵) ジョン・ロッテスリー (第2代ロッテスリー男爵)の概要

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ジョン・ロッテスリー (第2代ロッテスリー男爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/30 07:26 UTC 版)

ジョン・ロッテスリー
John Wrottesley
生誕 1798年8月5日
ロッテスリー・ホール英語版
死没 1867年10月27日
ロッテスリー・ホール
居住 イギリス
研究分野 天文学
主な業績 二重星のカタログの作成
主な受賞歴 王立天文学会ゴールドメダル(1839年)
プロジェクト:人物伝
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生涯

初代ロッテスリー男爵ジョン・ロッテスリーと1人目の妻キャロライン(1772年10月2日 – 1818年3月7日、第4代タンカーヴィル伯爵チャールズ・ベネットの娘)の息子として、1798年8月5日にスタッフォードシャーロッテスリー・ホール英語版で生まれた[1]。1810年1月から1814年7月までウェストミンスター・スクールで教育を受けた後[1]、1816年5月15日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1819年にB.A.の、1823年にM.A.の学位を修得した[2]。1819年11月19日にリンカーン法曹院に入学、1823年2月10日に法廷弁護士になり、財産譲渡や契約書類の起草に従事した[1]

1820年に王立天文学会の創立メンバーになり、1831年から1841年まで秘書を、1841年から1843年まで会長を務めた[1]。1839年王立天文学会ゴールドメダルを受賞した[1]

弁護士として働いている間にブラックヒース英語版に引っ越し、1829年から1831年までの間にブラックヒースで天文台を建設して観測を始めた[3]。1836年に王立天文学会で観測結果を発表し、学会は1838年にそれを出版した[3]。これにより、ロッテスリーは1839年2月8日に王立天文学会ゴールドメダルを受賞した[3]。1841年に父が死去した後は邸宅のロッテスリー・ホールに観測所を建設し観測を行った[3]

1841年4月29日に王立協会フェローに選出され、1854年から1858年まで会長を務めた[4]

政治では有用知識普及協会英語版に加入したり[3]第1回選挙法改正の選挙区境界制定に関わったりしたほか、1841年3月16日に父が死去してロッテスリー男爵位を継承した後、ホイッグ党(のちに自由党)の一員として行動した[1]1847年工場法英語版(女性と未成年労働者の労働時間を1日10時間に制限する法律)に反対した貴族5名のうちの1名だった[1]

1860年7月2日、オックスフォード大学よりD.C.L.英語版の名誉学位を授与された[2]

1867年10月27日にロッテスリー・ホールで死去、テッテンホール英語版で埋葬された[1]。息子アーサーが爵位を継承した[1]

家族

1821年7月28日、ソフィア・エリザベス・ギファード(Sophia Elizabeth Giffard、1793年11月1日 – 1880年1月13日、トマス・ギファードの娘)と結婚[1]、5男2女をもうけた[5]

  • ジュリア(1822年10月22日 – 1835年3月26日[5]
  • アーサー(1824年6月17日 – 1910年12月28日) - 第3代ロッテスリー男爵[1]
  • チャールズ(1826年2月23日 – 1907年6月19日) - 生涯未婚[6]
  • ジョージ(1827年6月15日 – 1909年3月4日) - 1854年1月7日、マーガレット・アン・バーゴイン(Margaret Anne Burgoyne、1883年5月3日没、初代準男爵サー・ジョン・フォックス・バーゴイン英語版の娘)と結婚。1889年2月21日、ニーナ・マーガレット・フィリップス(Nina Margaret Philips、1915年以降没、ジョン・ウィリアム・フィリップスの娘)と再婚[6]
  • ヘンリー(1829年3月4日 – 1852年3月11日) - 第8次コサ戦争英語版で戦死[6]
  • キャロライン(1832年2月24日 – 1860年9月1日) - 1859年12月28日、エドワード・ウォレス・グッドレイク(Edward Wallace Goodlake)と結婚[6]
  • キャメロン(1834年12月19日 – 1854年8月15日) - ボマルスンドの戦い英語版で戦死[6]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l Cokayne, George Edward; White, Geoffrey H., eds. (1959). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Tracton to Zouche) (英語). Vol. 12.2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 870.
  2. ^ a b Foster, Joseph (1888–1892). "Wrottesley, John" . Alumni Oxonienses: the Members of the University of Oxford, 1715–1886 (英語). Vol. 4. Oxford: Parker and Co. p. 1617. ウィキソースより。
  3. ^ a b c d e Carlyle, Edward Irving (1900). "Wrottesley, John" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 63. London: Smith, Elder & Co. pp. 167–168.
  4. ^ "Wrottesley; John (1798 - 1867); 2nd Baron Wrottesley". Record (英語). The Royal Society. 2023年12月8日閲覧
  5. ^ a b Lodge, Edmund, ed. (1901). The Peerage and Baronetage of the British Empire as at Present Existing (英語) (70th ed.). London: Hurst and Blackett. pp. 737–738.
  6. ^ a b c d e Butler, Alfred T., ed. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語) (73rd ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 2125.


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