ウィリアム・ホルブルック・ビアード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/22 00:00 UTC 版)
ウィリアム・ホルブルック・ビアード William Holbrook Beard | |
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生誕 | 1823年4月13日 ペインズヴィル(Painesville) |
死没 | 1900年2月20日 ブルックリン(ニューヨーク) |
略歴
オハイオ州、レイク郡のペインズヴィル(Painesville)で生まれた。独学で絵を学び、兄のジェームズ・ヘンリー・ビアード(James Henry Beard: 1812-1893) と、旅回りの肖像画家になった。1850年ころにニューヨーク州のバッファローに住むようになり、この地域では最も優れた画家とみなされた。30歳を越えた1856年にヨーロッパに修行に出てローマやスイス、ドイツを旅し、1857年から1858年の間は、多くのアメリカ人画家が学んでいたデュッセルドルフに滞在し、アルバート・ビアスタット(1830-1902)やエマヌエル・ロイツェ(1816-1868)、ワージントン・ウィットレッジ(1820-1910)といったアメリカ人画家と知り合った。
1859年に帰国し、バッファローで知り合った肖像画家、トーマス・ルクレール(Thomas LeClaire)の娘と1863年に結婚した。1861年にはニューヨークに移っていて、1862年にナショナル・アカデミー・オブ・デザインの会員に選ばれた[1] 。
1866年に詩人のベイヤード・テーラー(Bayard Taylor: 1825–1878)と、カンサスからコロラド州のデンバーまでを、馬や駅馬車で旅して、多くの風景をスケッチ、ニューヨークに戻った後、風景画に仕上げた。この旅の帰途、ネブラスカでヘンリー・アーサー・エルキンズ(Henry Arthur Elkins: 1847–1884)やヘンリー・チャップマン・フォード(Henry Chapman Ford: 1828–1894)、ジェームス・ファーリントン・グーキンズ(James F. Gookins: 1840–1904)といった画家と合流し、オマハを経由して鉄道でニューヨークに戻った[2]。
40年近く、ニューヨークのスタジオで活動し、動物を擬人化して描いたユーモラスで風刺的な作品で人気になった。ビアードの作品は複製版画として出版された。児童書の挿絵も制作し、2度ほど画集も出版された。
作品
- ^ nationalacademy.org: All National Academicians (1825 – Present). Beard, William Holbrook NA 1862. Abgerufen am 19. August 2021.
- ^ William W. Savage, Jr., James H. Lazalier (Hrsg.): Colorado. A Summer Trip by Bayard Taylor. University Press of Colorado, 1989. Nachdruck 2010.
- 1 ウィリアム・ホルブルック・ビアードとは
- 2 ウィリアム・ホルブルック・ビアードの概要
- 3 参考文献
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