「地頭請所」を解説文に含む見出し語の検索結果(1~10/21件中)
読み方:ジトウウケ(jitouuke)鎌倉時代の地頭が荘園領主・国衙に対して毎年一定の年貢納入を請負う制度。別名 地頭請所...
読み方:ジトウウケ(jitouuke)鎌倉時代の地頭が荘園領主・国衙に対して毎年一定の年貢納入を請負う制度。別名 地頭請所...
読み方:クニュウ(kunyuu)(1)干渉、周旋、仲介の意。(2)平安末期以降、土地・所職などに関して仲介すること、またその者。(3)鎌倉幕府で荘園・公領に地頭を補任したり、地頭請所を設置する権。
読み方:クニュウ(kunyuu)(1)干渉、周旋、仲介の意。(2)平安末期以降、土地・所職などに関して仲介すること、またその者。(3)鎌倉幕府で荘園・公領に地頭を補任したり、地頭請所を設置する権。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 05:54 UTC 版)「平正弘」の記事における「平氏と北信濃」の解説正弘の信濃国内の所領は野原郷(矢原御厨)、...
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/12 23:28 UTC 版)「領主」の記事における「地頭の領主化」の解説平安中期以降、摂関政治にみられる藤原北家の官...
請所(うけしょ/うけどころ)とは、平安時代末期から室町時代にかけて荘園や公領において、荘官や荘民、守護、地頭などが在地から年貢・公事として徴収したうちの一定額(請料・請口)の納入を荘園領主や国衙に対し...
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 10:21 UTC 版)「荘園 (日本)」の記事における「鎌倉時代の荘園」の解説1180年に発足した初期鎌倉幕府...
千国荘(ちくにのしょう)は、信濃国安曇郡(現在の長野県北安曇郡白馬村、小谷村)にあった荘園。荘域は佐野坂峠以北から越後国境まで、南北約34キロメートルにわたる。歴史鎌倉時代には、『吾妻鏡』文治2年3月...
太田荘(おおたのしょう)は信濃国水内郡(現在の長野県長野市)にあった荘園。歴史平安時代の『和名類聚抄』には水内郡「大田郷」として見え、長承3年(1134年)に、関白藤原忠実の娘・高陽院泰子が鳥羽上皇に...
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「地頭請所」の辞書の解説