我が亡き後に洪水よ来たれ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/26 22:05 UTC 版)
「我が亡き後に洪水よ来たれ」(わがなきあとにこうずいよきたれ[1]、フランス語: Après nous le déluge / Après moi le déluge)は、フランス王ルイ15世の愛人であったポンパドゥール侯爵夫人の言葉とされる、もともとはフランス語の語句[2]。日本語では、「わが亡きあとに洪水はきたれ」[3]、「我亡き後に洪水は来たれ」[4]、「大洪水よ、わが亡きあとに来たれ」[5]、などとも訳され、「アプレ・モア・ル・デリュージュ」と音写されることもある。
- ^ a b “我が亡き後に洪水よ来たれ”. 故事・ことわざ辞典オンライン. 2016年8月2日閲覧。
- ^ a b (ロシア語) Entsiklopedicheskii slovar [Encyclopedic Dictionary]. (1890). p. 930
- ^ 斎藤茂男 『わが亡きあとに洪水はきたれ!―ルポルタージュ 巨大企業と労働者』筑摩書房〈ちくま文庫〉、1990年。
- ^ 東芝弘明 (2014年10月5日). “我亡き後に洪水は来たれ”. 東芝弘明. 2016年8月2日閲覧。
- ^ 服部こうき (2008年5月24日). “【08.05.24】「大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!」(マルクスの「資本論」より) ルールある資本主義へ”. 服部こうき. 2016年8月2日閲覧。
- ^ Laguna, Gabriel (2006年1月13日). “The Expression 'Après moi le déluge', and Its Classical Antecedents”. Tradición Clásica. 2016年8月2日閲覧。
- ^ “後は野となれ山となれ”. 故事ことわざ辞典/ルックバイス. 2016年8月2日閲覧。
- ^ Après nous le déluge - duden.de
- ^ Paul Augé (sous la direction), Larousse du XXe siècle, Paris : Larousse, 1928, volume 1, p. 293
- ^ カール・マルクス、資本論翻訳委員会 訳 『資本論(第二分冊)』新日本出版社〈新日本新書〉、464頁。
- ^ Brickhill 1951, pp.84, 102.
- 1 我が亡き後に洪水よ来たれとは
- 2 我が亡き後に洪水よ来たれの概要
- 3 参考文献
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