30万人募兵令
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/23 08:15 UTC 版)
30万人募兵令[注釈 1](さんじゅうまんにんぼへいれい、仏: Levée de 300,000 hommes)は、フランス革命期の1793年2月24日に国民公会によって制定されたもので、苦境に陥った革命戦争に必要な兵士30万人を募集するにあたり、志願兵の不足分を各市町村に割り当てて強制徴募する法律である。30万人動員令、または募兵法ともいう。この法令はアマルガム法と同時に審議され、共和国軍の再編成を意図したものであった。
注釈
- ^ 正式名は「軍隊の募兵方法を定めるデクレ(Décret qui fixe le mode de recrutement de l’armée)」という。
- ^ a b ルイ14世の時代に創設された国民民兵制の俗称。徴税制度に用いられた教区(農村共同体)毎に一定の人数を割当てて強制的に人員を供給させるという強制募兵制(または旧徴兵制)で、免除や代理が認められていたので、実質的に貧しい農民のみに課された。正規軍を補完する補助部隊であったが、兵役期間は当初2年から後には4年から6年へと拡大され、極めて負担の重い、不平等・不公正の象徴とされた制度の一つ[1]
- ^ 1793年8月23日制定。歴史上、戦時国家総動員を定めた最初の法律。人材と物資の両方が無制限に徴用できるもので、恐怖政治の基礎をなす法令の一つ
- ^ 世界初の近代徴兵制度はフランスの総裁政府が1798年9月5日に制定したジュールダン法である
- ^ a b 元貴族軍人の憲法制定議会議員、山岳派の国民公会議員で、軍制の再編や反乱鎮圧に功績があった。
- ^ 第1期ネッケル時代の戦争大臣で、軍制改革を行った。フランス王国の元帥。
- ^ 義勇兵は待遇面で傭兵である正規軍よりも優遇され、別組織とされた。革命戦争初期にはこれらは反発しあったので、アマルガム法で再編成が必要になった
- ^ 現代で言うところの州兵に相当する国内治安部隊。装備は自費で揃え、有事にだけ非常召集されるパートタイムの兵士で、革命の極左化を防ぐため度々資格審査が強化されたブルジョワ民兵である。各県や主要都市で組織された。内戦が始まると大々的に動員され、部隊ごとが軍に編入されて国境の外まで派兵されたケースもある
- ^ アンシャン・レジーム期の募兵制度で正規軍に応募した者の契約期間は6年から8年であった。この遙かに短い拘束期間は、立法議会があくまで志願兵は臨時的なものと考え、全面戦争を予期していなかった傍証
- ^ 革命によって塩税が廃止されたので、生活の糧を失った元塩税役人の多くが反革命に走った
出典
- ^ 竹村厚士. “フランス革命と徴兵制 : 革命軍のプロフェッショナルな性格について”. 一橋論叢. 2012年5月15日閲覧。
- ^ フュレ & オズーフ 1999, p.127
- 1 30万人募兵令とは
- 2 30万人募兵令の概要
- 3 影響
- 4 脚注
- 5 外部リンク
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