1964年日本グランプリ (4輪)
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1964年の日本グランプリは、1964年5月2日と5月3日に鈴鹿サーキットにて決勝レースが行われた。正式名称は第2回日本グランプリ自動車レース大会。国内自動車メーカーのモータースポーツ活動が本格化し、「スカイライン伝説」が誕生したレースとして知られる。
注釈
- ^ 1963年までの規定では排気量1100cc以下。
- ^ 同年春に乗用車市場に参入したばかりのダイハツは不参加。
- ^ 当時は"MARCOS"(マーコス)の発音が分からず、公式記録や雑誌記事では「マルコ」や「マルコス」と表記された。
- ^ スターティンググリッドは3-2-3方式。
- ^ 第1回にも出場した日本の女性レーサーの草分けの一人で、今大会唯一の女性ドライバー。
- ^ ハンシュタインのポルシェ・356カレラ2は、第1回日本GPの国際スポーツカーレースで初日6位、2日目5位(ともにA-IIクラス優勝)。
- ^ VANの創業者石津謙介の息子。
出典
- ^ a b 「ポルシェ九〇四をめぐるナゾ 25歳の式場選手がレーサーの生命をかける」『平凡パンチ』1964年5月11日号、7頁。
- ^ 「リザルト&詳細データ」『日本の名レース100選 Volume025 '64 第2回日本グランプリ』、54-55頁。
- ^ 櫻井 『スカイラインとともに』、103頁。
- ^ 『プロジェクトX 挑戦者たち 第VIII期 ラストファイト 名車よ永遠なれ』(映像資料)
- ^ 『ニッサンスポーツ』、103頁。
- ^ a b c d 『日本モータースポーツ史』(映像資料)
- ^ 「ポルシェ九〇四をめぐるナゾ 25歳の式場選手がレーサーの生命をかける」『平凡パンチ』1964年5月11日号、8頁。
- ^ 『ニッサンスポーツ』、102頁。
- ^ 小林 『CAR GRAPHIC』2009年7月号、121頁。
- ^ 桂木 『プリンス自動車の光芒』、180頁。
- ^ 大久保 『サーキット燦々』、267頁。
- ^ a b 「式場壮吉インタビュー 思い出の日本GP」『モデルカー』 2000年10月号、43頁。
- ^ a b c d e f 金子浩久 「43年目の真実 式場壮吉」『日本の名レース100選Volume025 '64 第2回日本GP』、29頁。
- ^ 日本ポルシェクラブ
- ^ 医療法人式場病院
- ^ a b 井出耕也 「サーキットの肖像 式場壮吉」『F1倶楽部』vol.21、107ページ。
- ^ 「トヨタ2000GTを支えたメカニックたち」『ノスタルジックヒーロー』1996年4月号、p73。
- ^ 藤井正行 「ポルシェ904を修理して」『CAR GRAPHIC』1964年7月号、86頁。
- ^ 「日本レース史の断章 vol.17 安藤純一」『ノスタルジックヒーロー』 2012年12月号、100頁。
- ^ ベストカー公式サイト 徳大寺有恒思い出の1台 第21回 PORSCHE CARRERA GTS904
- ^ SUNTORY SATURDAYWAITINGBAR 1999年11月27日放送「スカイライン伝説」
- ^ 「式場壮吉インタビュー 思い出の日本GP」『モデルカー』 2000年10月号、46頁。
- ^ 金子浩久 「43年目の真実 式場壮吉」『日本の名レース100選Volume025 '64 第2回日本GP』、31頁。
- ^ a b 「名ドライバーたちの肖像 vol.11 砂子義一」『ノスタルジックヒーロー』 2008年12月号、79-80頁。
- ^ a b c 生沢 『生沢徹のデッドヒート スピードに賭けた"一匹狼"の青春』、28-33頁。
- ^ 徳大寺 『ぼくの日本自動車史』、274頁。
- 1 1964年日本グランプリ (4輪)とは
- 2 1964年日本グランプリ (4輪)の概要
- 3 GT-IIクラスの対決
- 4 脚注
- 5 外部リンク
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