麻生弼吉
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麻生 弼吉(あそう すけきち、天保6年(1835年) - 明治40年(1907年)4月27日)は、明治初期の啓蒙家。のち麻生武平(たけへい)と改名し、6等出仕として初代海軍機関学校校長を務め、軍事技術者として海軍機関大監まで栄進した。
- ^ それまではヘンリー・S・パーマーが借りていた[3]。
- ^ a b c d 麻布の軌跡 麻布の家1 米国人画家の来日港区麻布総合支所『ザASABU』28号、p6、2014年6月26日
- ^ 五等出仕麻生武平外一名昇任ノ件国立公文書館
- ^ 麻布の軌跡 麻布の家2 日本を愛した2人の英国人港区麻布総合支所『ザASABU』29号、p6、2014年9月30日
- ^ 同本の機械工学の開拓者・井口在屋 (I)出水力、技術と文明 l巻 l号
- ^ 麻生二郎『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
- ^ 『人事興信録 2版(明41.6刊)』「松波秀実」
- ^ 林業試験場(森林総合研究所)歴代場所長森林総合研究所百年のあゆみ、独立行政法人森林総合研究所、平成17年11月
- ^ 『官報』第1925号「叙任及辞令」1889年11月27日。
- ^ 『官報』第1933号「叙任及辞令」1889年12月6日。
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