高橋貞樹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/04 03:13 UTC 版)
高橋 貞樹(たかはし さだき、1905年3月8日 - 1935年11月2日)は、日本の水平運動家、共産主義者。
- ^ 高橋貞樹著、沖浦和光校注『被差別部落一千年史』333頁
- ^ a b 禰津正志『日本現代史』第4巻165頁
- ^ 小宮山富恵 - 『デジタル版日本人名大辞典+Plus』講談社(コトバンク)
- ^ 『20世紀日本人名事典』
- ^ 『世界農業問題の構造化: 日本資本主義論争II』49頁
- ^ 『部落』(1976年)第28巻、第7~12号、83頁
- ^ a b 『日本思想百年史』(躍進日本社)23頁
- ^ 『部落問題資料文献叢書: 特殊部落一千年史』(世界文庫)355頁
- ^ 高橋貞樹 たかはし-さだき 日本人名大辞典
- ^ 朝治武『差別と反逆 平野小剣の生涯』p.218
- ^ 木村京太郎『水平社運動の思い出』下巻260頁
- ^ 『最近の社会運動』(1929年)480頁
- ^ 『部落問題・水平運動資料集成』第1巻、217頁。
- ^ 『山川均全集』第6巻4頁
- ^ 北原泰作『賤民の後裔』94頁
- ^ 朝田善之助『差別と闘いつづけて: 部落解放運動五十年』58頁
- ^ 『水平社運動史論』49頁
- ^ 藤野豊『水平運動の社会思想史的研究』167頁
- ^ 部落問題研究所出版部『水平運動史の研究』第5巻28頁
- ^ a b c 高橋貞樹 たかはしさだき (1905―1935) 日本大百科全書
- ^ 斎藤恵子『九津見房子、声だけを残し』みすず書房、2020年、216-219頁。ISBN 978-4-622-08925-4。
- ^ 九津見は大阪で日本労働組合評議会の活動していた頃から面識があった。九津見は高橋の救援金を募ったが、山辺健太郎は九津見の訪問時に「コミンテルンの悪口をいう奴に金をやることはない」と九津見の集めた救援金を取り上げて、非転向だった国領五一郎に送ったと証言している。もっとも高橋は金銭的には窮しておらず、九津見への最後の手紙では、差し入れられた1円を宅下げしたと記している。(以上、斎藤恵子、2006年、pp.216 - 219)
- ^ 高橋 貞樹 タカハシ サダキ 20世紀日本人名事典
- ^ 高橋, 貞樹, 1904-1935 国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス
- ^ 沖浦和光 部落歴史の先駆者 高橋貞樹 2015, 筑摩書房 pp38-39, ISBN 978-4-480-88531-9
[続きの解説]
固有名詞の分類
- 高橋貞樹のページへのリンク