高嵩月
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高 嵩月(こうすうげつ、宝暦5年(1755年[1]) - 文政13年8月29日(1830年10月15日[2]))は江戸時代の英派の絵師。観嵩月とも表記される。
- ^ 結城素明 『東京美術家墓所誌』 1936年、p.145に歿年七十六とあることから逆算。
- ^ 『古画備考』より、『武江年表』や陽岳寺に残る墓石では文政13年11月20日(1831年1月3日沒としているが、これは嵩月の遺言状に「何ヶ月に没しても忌日は十一月ノ廿日也」と沒日を変更したためである。しかし、なぜ嵩月がこの日に拘ったかは不明(井田(2016)p.32)。
- ^ a b c d 井田(2016)p.29。
- ^ 井田(2016)p.31。
- ^ a b 井田(2016)p.32。
- ^ 威光山法明寺 近江正典編 『雑司ヶ谷鬼子母神堂開堂三百五十年・重要文化財指定記念 雑司ヶ谷鬼子母神堂』 勉誠出版、2016年11月28日、pp.80,132、ISBN 978-4-585-21036-8。
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