領主権の拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/17 02:35 UTC 版)
4代満教は溝延氏から入るが、この頃になると白岩氏は領主権を拡大し、応仁2年(1468年)寒河江氏の干渉なしに陸奥国分寺領を本拠とする国分河内守に渡置状を発給し、文明10年(1478年)白岩氏の菩提寺として洞興寺を建立した。また文明11年(1479年)、文明12年(1480年)に伊達氏の侵攻を受けた際(菖蒲沼の戦い)、寒河江氏と左沢氏の諍いを仲裁し、慈恩寺へ誓詞を納めたという。1506年頃の最上義定の進攻を寒河江氏などと共に防いでいる。さらに、永正13年(1516年)最上氏・伊達氏の争いでは和睦の仲介をしたという。永正9年(1512年)庄内で武藤氏と砂越氏の戦いがあり、永正15年(1518年)義定は勝者の進出を想定して寒河江まで出陣する。この時、5代満広は義定に従い忠節を尽くした。
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