霧の山荘とは? わかりやすく解説

霧の山荘

作者横溝正史

収載図書悪魔の降誕祭 改版
出版社角川書店
刊行年月2005.8
シリーズ名角川文庫


霧の山荘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/31 23:12 UTC 版)

霧の山荘』(きりのさんそう)は、横溝正史の中編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の一つ。


注釈

  1. ^ 改稿前の短編作品『霧の別荘』は、光文社刊『金田一耕助の新冒険』 (ISBN 4-334-73276-3) に収録されている。
  2. ^ 事件発生が9月の中旬であることは明記されている。年代については、(房子の証言より)1951年(昭和26年)に照子の夫の西田稔が数え年59歳で亡くなり、(容子が金田一に語った内容により)16歳違いの照子の事件発生時の年齢が、数え年でちょうど50歳であることから。
  3. ^ 「犯行時刻をごまかすトリック」が照子の死体が消えて再度出た謎の真相だったので、金田一耕助が事件を目撃した時刻(午後8時27分の少し前)以後の列車(午後8時30分着)でK高原に来た武彦には(偽の)アリバイが成立する。
  4. ^ 「プリンスホテル」といっても、現在の「軽井沢プリンスホテル」や「軽井沢浅間プリンスホテル」は当時存在していないため、中軽井沢千ヶ滝地区にあった初代「軽井沢プリンスホテル」(旧朝香宮邸。のちに「千ヶ滝プリンスホテル」と改称するものの、皇室専用となったホテル。)のことと考えられている。
  5. ^ 相続の開始(照子の死亡)が昭和37年の民法の一部改正以降で、かつ姉の房子が先に亡くなっているなど「相続人不存在」であるならば、所定の期間に家庭裁判所に特別縁故者の申立をして、認められれば遺産の分与を受けられるが、本作は昭和33年9月に発生した事件であるので該当しない。

出典

  1. ^ 出版芸術社『金田一耕助の新冒険』1996年、ISBN 4-88293-118-4、p.88-106。
  2. ^ 出版芸術社『金田一耕助の新冒険』1996年、ISBN 4-88293-118-4、p.251 原田知明「作品解説」
  3. ^ 悪魔の降誕祭』昭和49年版の巻末「解説」参照。


「霧の山荘」の続きの解説一覧



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「霧の山荘」の関連用語

霧の山荘のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



霧の山荘のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの霧の山荘 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS