霊思何皇后とは? わかりやすく解説

霊思何皇后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/13 13:04 UTC 版)

何皇后(かこうごう)は、後漢霊帝の皇后。は思で、諡号としては夫の諡を重ねて霊思皇后(れいしこうごう)。荊州南陽郡宛県(現在の河南省南陽市宛城区)の人。父は何真。母(舞陽君)は何真の後妻。子は少帝弁。異母兄は何進。異父兄は何苗(朱苗)。妹は張譲の養子張朔の妻。


  1. ^ 同郷の宦官の郭勝であるという。『後漢書』霊思何皇后紀の注『風俗通』では、戸籍調査の役人へ賄賂を渡しており、恐らく宦官ではない。
  2. ^ 霊帝の生母で、桓帝の未亡人である竇太后が死去した後、朝政に関与するようになった。一族の董重を採り立てて官職に就けるとともに、一部の宦官と結託して権勢を振るった。劉協を養育していた。


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