雲取越えとは? わかりやすく解説

雲取越え

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/15 04:02 UTC 版)

雲取越え(くもとりごえ、大雲取小雲取越え〈おおぐもとりこぐもとりごえ〉)は熊野那智大社和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)と熊野本宮大社(和歌山県田辺市本宮町本宮)とを結ぶ参詣道。熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)への参詣道、熊野古道中辺路の派生ルートのひとつ。熊野那智大社から、その後背にそびえる那智山を越えて赤木川の河谷に至るまでを大雲取越え(おおぐもとりごえ)、赤木川から熊野本宮大社に至るまでを小雲取越え(こぐもとりごえ)と呼ぶ。


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  2. ^ 和歌山県教育委員会[2002→2005b: 41]
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  18. ^ 太田[2008: 230-232]。庄司 千賀、1987、「熊野新宮の本願庵主とその活動」(『熊野誌』第33号、熊野地方史研究会)をも参照。
  19. ^ 勧進活動に替わるものとしての本尊開帳も享保年間(1716年 - 1735年)には、幕府により、寺社焼失のような例外を除いて33年に1度のみとする規制が加えられた[浅野 1990:26]。
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  40. ^ a b 杉中[1994: 33]
  41. ^ こうした文明らの事跡を顕彰し、熊野に関連する歌を刻銘した歌碑が雲取越えの道沿いに那智勝浦町によって設置されている[宇江 2004c: 189-190]。アララギ派の歌人たちの熊野行については前出の杉中[1994]に詳しい。
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  55. ^ 寛政10年(1798年)の『熊野詣紀行』には三十の茶屋で「宿もすれと板間むしろ敷きにてむさし」と記されたところである[藤井 2007: 88]。『三十三所』は一軒家で「上立茶屋」と記している[林 1980: 65]。
  56. ^ 宇江[2004c: 184]
  57. ^ 「むえん佛」「明治三十四年旧七月十三日」と刻銘され、台石には[[小口村 (和歌山県)|]](新宮市熊野川町)と色川村(那智勝浦町)の境界である旨が刻銘されている[宇江2004c: 190-191]。
  58. ^ 宇江[2004a: 116][2004c: 193]
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  62. ^ 以上のように大雲取越えには多くの宿が見られ、客を取り合って争論をした記録も残されている[熊野川町史編纂委員会 2008: 478-480]。
  63. ^ 宇江[2004c: 197]
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  70. ^ 藤井[2007: 89]
  71. ^ 椎ノ木茶屋は古い地籍図には「壱畝二三歩宅地」と記されている[熊野川町史編纂委員会 2008: 480]。1925年(大正14年)に文明や茂吉らが歩いた折に、大阪から来たという目を患う遍路に出会った場所である[宇江 2004c: 200]。
  72. ^ 『三十三所』は登り口から50町にあると記し、一軒家の前にある大木のサクラが名の由来であるとしている[林 1980: 65]。桜茶屋の記録は享保年間付の証文にまでさかのぼり、おそらく大正時代はじめまでに営業をやめたものとみられる[熊野川町史編纂委員会 2008: 481]。
  73. ^ 宇江[2004c: 205]
  74. ^ a b 宇江[2004c: 205]、辻田[2008]など
  75. ^ 後藤[1982: 273]
  76. ^ 宇江[2004c: 207]
  77. ^ 宇江[2004c: 209]
  78. ^ 辻田[2008: 52]
  79. ^ 熊野川町史編纂委員会[2008: 482]
  80. ^ a b c 辻田[2008: 62]
  81. ^ 地図上の表記は「万才峠」。2万5千分1地形図名: 本宮(田辺)”. 国土地理院地図閲覧サービス. 2009年5月23日閲覧。
  82. ^ 熊野川町史編纂委員会[2008: 394-397]に詳しい記述がある。
  83. ^ 紀南文化財研究会[2008: 67-69]
  84. ^ 一遍上人名号碑建立之地”. わかやま文化財ガイド. 和歌山県. 2015年2月15日閲覧。


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