関保之助
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関 保之助(せき やすのすけ、1868年5月2日(慶応4年4月10日) - 1945年(昭和20年)5月25日)は、明治から昭和時代にかけての有職故実家[1]。東京帝室博物館学芸委員、重要美術品等調査委員[2]。有職故実、甲冑武器の考証家として著名だった[2]。蒐集家としては東都において小堀鞆音に並ぶ存在として知られた[3]。筆名に波爾和、号に花郷、加和羅廼舎、箙廼舎[1]。
- ^ a b c 関保之助(読み)せき やすのすけコトバンク
- ^ a b c 関保之助 日本美術年鑑所載物故者記事東京文化財研究所(閲覧日 2021-02-02)
- ^ a b c d 関保之助と明治41年の遊就館整理事業 (PDF) 静岡県立美術館村上敬
- ^ a b c 『日本美術院百年史』日本美術院, 1989, p841
- ^ 『考古の巨星: 末永雅雄と橿原考古学研究所』向谷進, 文藝春秋, 1994, p26
- ^ “巴里博覧会出品(監査合格の続)”. 国民新聞: p. 5 (雑報). (1899年10月29日(明治32年))
- ^ a b c d 『日本考古学選集 5』斎藤忠,末永雅雄編、築地書館 1975、p212
- ^ 『謎解き伴大納言絵巻』黒田日出男、小学館, 2002, p68
- ^ 関 保之助(読み)セキ ヤスノスケコトバンク
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