長谷川寛とは? わかりやすく解説

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長谷川寛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 07:07 UTC 版)

長谷川 寛(はせがわ ひろし、通称:善左衛門藤次郎とも、1782年天明2年) - 1839年1月5日天保9年11月20日))は、江戸時代末期の数学者和算家江戸出身で、は西磻、極翁である。1830年に、和算の初歩から丁寧に著した独習書であり、明治時代に和算の教科書として使われた『算法新書』が主著として知られる[1][2]。また長谷川派の創始者だが寛は生涯、子供がおらず弟子の長谷川弘(養子になる前の名前:佐藤秋三郎篤信[3])を養子として育てた。


  1. ^ 『算法新書』、2012年9月26日閲覧。
  2. ^ 数学者の千葉胤秀が主に編集しており、寛は監修で、胤秀の著書としても紹介される。
  3. ^ 養子になった後は二世長谷川善左衛門、善左衛門弘とも名乗った。
  4. ^ a b 彌永昌吉・中村誠太郎、三村征雄、湯川秀樹 『万有百科大事典 16 物理・数学』 相賀徹夫、小学館〈日本大百科全書〉(原著1976年4月20日)、初版(日本語)、438頁。


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