長良川の戦いとは? わかりやすく解説

長良川の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 00:15 UTC 版)

長良川の戦い(ながらがわのたたかい)は、1556年弘治2年)4月に斎藤道三とその長男・斎藤義龍との間で美濃国(現・岐阜県)の長良川にて行われた合戦である。


注釈

  1. ^ 江戸期の軍記物にはこのとき道三は鷺山城に隠居したというが、資料的価値が高い『信長公記』には親子4人(道三・義龍・孫四郎・喜平次)で稲葉山城に居城したとあることから、信憑性はないといえる。
  2. ^ 主家の土岐氏も土岐成頼が一色出身なこともあり、その三代孫の頼栄は一色姓を名乗っている。
  3. ^ 『信長公記』には「親子4人で稲葉山城に居城していた」とあるため、稲葉山城の「奥」と推定される。
  4. ^ 主君のいる部屋の次にある部屋で、主君に仕える者の控えの部屋。
  5. ^ 現・愛知県清須市春日
  6. ^ 織田下四郡を支配していた清洲織田家の織田大和守信友を滅ぼしたため。
  7. ^ 弘治二年(1556年)4月19日付けで書かれた手紙である。「道三の遺言状」とも、「信長への国譲り状」とも言われる。現存する物は計3通ある。織田軍へ合流した斎藤利治へ渡した可能性が高い。

出典

  1. ^ 『信長公記』
  2. ^ 勝俣鎮な夫「美濃斎藤氏の盛衰」『岐阜県史通史編 原始・古代・中世』1980年。 
  3. ^ 岐阜市内の指定等文化財一覧”. 岐阜市 (2012年4月6日). 2013年3月31日閲覧。


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