金印勅書以降に選帝権を与えられた諸侯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/29 02:09 UTC 版)
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ライン宮中伯(ライン・プファルツ伯) 1623年、バイエルン公に領土と選帝権を奪われたが、1648年にヴェストファーレン条約でオーバープファルツを除く領土を回収した上で新たな選帝権と内帑長官の宮中職を獲得した。ただしこの選帝権はバイエルン公と同君連合した時点で失われると定められていた。1777年、ライン宮中伯カール4世フィリップ・テオドールがバイエルン選帝侯位を継承し、これによりライン宮中伯としての選帝侯位は消滅した。 ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公(ブラウンシュヴァイク=カレンベルク公) 宮廷所在地からハノーファー選帝侯と呼ばれることもある。1692年に選帝権を獲得した(但し、帝国議会に承認されるのは1708年)。宮中職は初めは旗手長、ライン宮中伯の選帝権の消滅後は内帑長官。1714年以降グレートブリテン王国と同君連合(ハノーヴァー朝)。
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